善悪の判断がつかない子供たち。結論を出さぬ「道徳」授業の弊害

 

【質問】:このテーマが提示され、教師は次のように質問しました。

吉江は、典子にお別れ会のことを言うべきか。それとも、言わないで練習に出るように説得すべきか。


この質問に、子どもたちの答えは半分半分に分かれました。

典子にお別れ会のことを言うべき」と考える子どもたちは、以下の理由をあげました。

  • お別れするのに、典子にモヤモヤさせちゃって悪いから。
  • このままだと学校にこないまま、嫌な思い出のまま転校することになるから。
  • このまま言わなかったら来ないかもしれないから。
  • 最後は、みんなで仲良く終わりたいから。
  • 嫌な気持ちをしているのに、驚かせてもあまりとうれしくないと思うから。
  • お別れ会をするから、それを話していただけと正直に言ったら良いと思う。
  • 明日来ないと終わり。
  • 仲間はずれをしたと思われたくないから。
  • そもそも典子のためなのに、典子がそんな思いをしているのに、隠す必要がないから。
  • お別れ会のことを言わないと学校にも部活にも来ないで、お別れ会ができないから。

言わないで練習に出るように説得すべき」と答えた子どもたちの考えは次のようでした。

  • みんなで決めた秘密は守るべきだから。
  • せっかく今まで秘密にしていたのに、ここで言ったら、みんなに責められそうだし、みんなを説得しないといけなくなるから。
  • 典子を説得して来てもらって、お別れ会をしたら、うれしさも大きいと思うから。
  • 典子がいないときに話し合い、バレー部の時は普通に接したほうがいい。
  • 親友だからこそ、言わない。
  • 「ぜったい秘密」で準備しているから。
  • 一番の思い出にしてもらいたいから。
  • 帰る時や練習の時に誰か一人は典子のそばにいて、後からみんなに話し合いの内容を聞けばいい。
  • なんとか説得して来てもらえば、お別れ会で仲直りできるから。

この道徳授業では、クラスみんなで様々な意見でにぎわいました。でも、先生は結論を出さずに終わってしまいました。「仲間の思いは、いろいろあるんだな」、「みんな意見があって、それぞれわかるよ」、「それぞれ、みんな正しいね」、「結論は無いです…」

このままで良いとは思えません。先生であれば、示すべき道があるはずです。何点か問題点を述べてみます。

第1に、「目的手段をごっちゃにしてはいけない、という点です。「目的」は、典子のためにお別れ会をして、喜んでもらうことです。動機として、友だちを愛する気持ちがあり、それが尊い思いなのです。実行行為として、みんなで話し合い、出し物の準備をしたりします。それが素晴らしいことなのです。そして、その方法として、サプライズのために「秘密」という「手段」を選んだわけです。「秘密」は典子に喜んでもらうための「手段に過ぎないのです。

また、「秘密をばらして、みんなに自分が責められるのでは…」という考えは自己保身にほかなりませんので、注意してあげることが必要でしょう。

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