どん底から這い上がった引きこもり。哲学者・小川仁志の逆転人生

2018.03.26
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今まで100冊以上の著書を出版し、NHKの番組で哲学を知らない人たちに向けてわかりやすく名著を紹介したことでも話題になった哲学者の小川仁志さん。一流商社を辞めてから始まった転落人生は、ボロアパートでの引きこもり生活、司法試験不合格、そして謎の出血から哲学との出逢いを経て社会復帰へ。市役所職員、大学院生、子育てパパという「三足のワラジ」生活の果てに見えた希望の光とは何だったのでしょうか?

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プロフィール:小川仁志(おがわ・ひとし)
1970年、京都府生まれ。哲学者・山口大学国際総合科学部准教授。京都大学法学部卒、名古屋市立大学大学院博士後期課程修了。博士(人間文化)。米プリンストン大学客員研究員等を経て現職。大学で新しいグローバル教育を牽引する傍ら、商店街で「哲学カフェ」を主宰するなど、市民のための哲学を実践している。2018年4月からはEテレ「世界の哲学者に人生相談」(木曜23時〜)にレギュラー出演。専門は公共哲学。著書も多く、海外での翻訳出版も含めると100冊以上。近著に『哲学の最新キーワードを読む』(講談社現代新書)等多数。 ブログ「哲学者の小川さん

小川仁志の情熱人生―挫折、努力、ときどき哲学 第四回

リベンジマッチ―市役所、大学院、子育ての三足の草鞋時代

前回は名古屋市役所に採用され、名古屋駅に降り立つまでの話をしました。今回は市役所で働きながら大学院で勉強していた時代についてご紹介したいと思います。小川仁志リベンジマッチの巻です。

最初は本庁の都市計画課に配属されました。といっても法律職だったので、庶務担当です。全くの畑違いかと思いきや、一応私のやりたかった「まちづくり」に関係しており、そのイロハを学ぶには最適の部署でした。なにしろまちづくりに関する分厚い冊子まで編集する部署ですから。

ハードのまちづくり、つまり道路や建物のまちづくりがメインでしたが、色んなことを学び、経験させてもらいました。一番印象に残っているのは、入庁して間もないころ、怒った市民の方がやってきたときのことです。名古屋市役所の本庁ともなると、直接市民と接する機会があまりありません。市民にとっての窓口は区役所なのです。区役所ならこんなことは日常茶飯事です。

でも、私はそういう経験がなかったので、ついその方の話をその通りだと思い同情してしまったのです。そして「それは市が悪いですねとまで言ってしまったのです。それを聞いていた先輩からひどく怒られました。そんなこと言ったら責任問われるぞと。その先輩は区役所で嫌というほどそういう場面に出くわし、経験を積んできた人です。

その時私は、現場を知ることの重要性を痛感しました。それが後に区役所に異動の希望を出した理由の一つです。もう一つは博士課程に進み、時間が必要になったということなのですが。ちなみに、私を叱りつけたさっきの先輩はかなり年下の人でした。そう、私は30歳なのに何も知らない困った新人だったのです。

だから屈辱的なことはたくさんありましたが、とにかく頑張りました。人生をさぼってきたという意味で自業自得ですから。昔ならムカッときてたと思いますが、素直に受け入れました。それに何事も勉強です。ドイツの哲学者ヘーゲルが言っていますが、仕事は自分を磨くためにあるのです。失敗も含めまた一つ自分が磨かれたととらえれば、前向きになれます

そもそも年齢など気にしていられない環境でした。同期がみんな年下なのですから。10歳以上離れている人もいましたが、お互い君付けで呼び合う仲でした。それはそれで嬉しかったのです。同じように扱ってくれているという感じがして。ここでもまた同期には恵まれました。今も付き合っている人たちはたくさんいますし、親友もいます。後に偉くなって私を市役所の講演の講師として呼んでくれた同期もいます。いわば凱旋の機会を与えてくれたわけです。彼らには本当に感謝しています。

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