名古屋に戻る新幹線の時間を待つ間、私は駅前の商店街をうろつきました。正直いって名古屋とは比べ物にならないほどの寂れようです。いわゆるシャッター街。そのときすでに、私の心の中には、ここをなんとかしたいという熱い思いが芽生えていました。その思いは後に商店街でのまちづくり活動として結実します。
家に電話すると、妻も幼い娘も喜んでくれました。日ごろ頑張っていた私の姿を見て、二人で神社にお参りに行ってくれてたそうです。徳山の駅からはコンビナートの夜景が見えます。あの日の天気のせいでその光がにじんで見えたのか、私の目が潤んでいたのかはっきり覚えていませんが、あんなに美しい人工物を見たのは初めてのような気がしました。
セネカは『人生の短さについて』の中でこんなふうにいっています。「われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている」。あのときの気持ちを言葉にするなら、こんな感じになると思います。
そうして私はさらにその後の十数年を、まさに一瞬たりとも無駄にすることなく、偉大なことを目指して駆け抜けることになるのです。そのへんは次回、最終回の講釈で……。(第5回へ続く)
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