どん底から這い上がった引きこもり。哲学者・小川仁志の逆転人生

2018.03.26
 

そうしてがむしゃらに働いて1年が過ぎるころ、私は当初からの目標であった哲学の勉強をどうするか考え始めていました。そんなとき、名古屋市立大学の出している冊子を目にしました。どうやら社会人でも通える昼夜開講のコースがあるというのです。しかも博士まで取れるというじゃないですか! つまり本格的にかつ生涯哲学が勉強できるわけです。そこでさらに調べてみると、私の関心をもっていた公共哲学が学べることがわかりました。公共哲学とは、自分と社会をどうつなぐかを本質にさかのぼって考えるものです。

これぞ私のやりたいことだったので、さっそく受験を決意しました。修士と博士で計5年間大学院に行くとなると高級車が買えるくらいの投資になるわけですが、車と違って一生ものです。市役所に入ってから結婚もしていたので、妻を説得し、なんとかやらせてもらうことにしました。

受験は社会人枠だったので、哲学の門外漢でもなんとかなりました。それでも必死に準備しました。そうでないとついていけないのはわかっていましたから。何しろ私の選んだ先生はドイツの哲学者ヘーゲルの研究者だったのです。ヘーゲルをベースに公共哲学を説かれていたわけです。哲学書を読むだけでなく、ドイツ語の勉強も必死にやりました。

幸い、当時すでに地方の大学院は経営のため社会人の受け入れには積極だったので、私もなんとか入れてもらうことができました。こうしてハードな二足の草鞋生活が始まったのです。5時まで仕事5時から深夜まで学生の毎日です。子どもも生まれ、途中からは子育ても加わり三足の草鞋生活になってしまいました。

それでもとても充実した日々でした。私にしてみれば、二度目の社会人生活であり、二度目の学生生活です。しかもどちらも一度目は大失敗しています。ですから、今度こそやり直したいという気持ちが強かったのです。

若いころは大学の落ちこぼれでしたが、大学院では一転優等生でした。成績はもちろんオールA、何より無欠席です。さすがに仕事で授業に遅れたことはありましたが、修士のときも博士のときも、学位記を受け取る代表に選ばれました。

学会活動にも力を入れました。その面では今より頑張っていました。論文を書いて発表しそれをジャーナルに載せる学会や勉強会にはできるだけ出る。その繰り返しです。さらに私の場合、懸賞論文にも応募して賞をとりました。やりすぎくらいやっていたと思います。「なにくそ精神が爆発していたからです。その甲斐あって、働きながら修士は2年でとれ、博士課程に進むことができました。

時間の捻出は大変でしたが、人間やる気になれば時間でさえ生み出せるものです。片手で子どもにミルクをあげつつ、もう一方の手でワープロを打ったり。家事をしながら勉強したり。そういえば子どもが生まれたばかりのときは私が自転車で買い物をしていたので、大学院のテキスト仕事のカバンおむつや食材など全部ひっかけて、さながら中国雑技団のようでした。

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