2つ目はスマートフォンによる車載機画面の乗っ取りです。AppleのCarPlayやGoogleのAndroid Autoが代表例ですが、音楽などのエンターテイメントサービスだけでなはく、カーナビや行き先検索などの運転支援の部分まで、スマートフォンが担当するようになって来ています。このままでは、スマートフォンが通信事業者にもたらしたように、「運転者の体験は、自動車メーカーが提供してしているソフトウェアではなく、繋いだスマートフォンで決まる」時代が来ても不思議ではありません。
これは「iPhoneを持っている限り、通信事業者がどこであろうとユーザー体験は同じ」というスマートフォン・ショックと同じ話であり、これが水平分散型ビジネスを加速する電気自動車と組み合わさった時には、自動車産業そのものを一気にコモディティ化してしまう危険すらあります。
そして、その一歩先には、GoogleやAppleが自動車メーカーとして自動車産業に参加してくるという世界があります。大きなリスクを伴うので、簡単な話ではありませんが、部品を調達すれば誰にでも作れてしまう電気自動車の世界において、最も重要なのはその上で走るソフトウェアやサービスであり、それこそGoogleやAppleが得意とするところです。
特に「Apple Cult(信者)」と呼ばれるまでの熱烈なファンを抱えたAppleは、コモディティ化が進む電気自動車市場で、ブランド力と(ソフトウェアを使った)エコシステムの力で、高付加価値な製品で利益率の高いビジネスをすることが誰よりも得意な企業であり、その参入のインパクトはiPhoneが携帯電話市場にもたらしたのと同じような規模のものになる可能性が十分にあります。
3つ目は、カーシェアリングです。米国では、ZipCarやUber、日本ではコインパーキングのタイムズが始めたタイムズカープラスが急速に伸びていますが、これが意味するものは、消費者の間に「自動車は所有するものではなく、必要に応じて使うもの」という意識が目覚め始めていることを意味します。
日本には高度成長期に「マイカー」という言葉がありましたが、これは「自分の車を持つ」ことが社会的なステータスシンボルであった時代だからこその言葉です。
しかし、経済的に考えれば、週末にしか使わない自動車を所有すること自体が大きな無駄だし、自宅に駐車場がない人にとっては、駐車場代も大きな出費です。それにメンテナンス費用や、行き先での駐車場代などを考慮すれば、「必要な時にだけ借りる」もしくは「必要な時にだけタクシーを使う」方がはるかに安上がりなのです。
日本にはすでにタクシーを使う文化がありますが、一部の都市部を除いて「流しのタクシー」を捕まえることが難しかった米国にとっては、Uberの誕生は、人々のライフスタイルを根本から変えてしまうほどのインパクトを持っているのです。