セブンイレブンのEC「オムニセブン」は成功するか?佐々木俊尚氏が解説

 

でも、すべての消費が機能消費になっていくわけではありません。なぜならわたしたちは社会性を持つ動物であって、消費というのは「わたしたちが社会とどう付き合うのか」という意味も持っている行為だからです。つまりわたしたちは社会とかかわりあうひとつの方法として、モノを消費しているのだということもできます。

テレビや新聞でみんなが同じ情報を得るというスタイルが衰退して、インターネットで情報が得られるようになって、ますます「みんなが同じ」という感覚が薄れてきています。

たとえば音楽で言えば、1980年代ごろは「邦楽より洋楽のほうがカッコいい」「クラシックやジャズを聴いてる人は教養のある人」みたいなイメージが多くの人に共有されていました。だから本当は好きでもないのに、カッコつけて洋楽やクラシックを無理矢理聴いてる背伸び消費的な若者もたくさんいたのですが、でもいまの時代に、こんなふうに思う人はいないですよね。少なくとも、30歳代ぐらいより下の世代には、こういう価値観はもはや共有されていないと思います。

いまは「洋楽を好きな人」「Jポップを好きな人」「クラシックを好きな人」「ジャズを好きな人」はそれぞれ細分化していて、ある意味で「オタク」的になっていて、それぞれの世界で自分の好きな音楽を楽しんでいます。だからクラシック音楽を聴く人は教養のある人ではなく、どちらかといえば「クラシックオタク」みたいな扱いをされるわけです。

こういう世界における消費というのは、「背伸び」ではあり得ません。そこにあるのはモノやブランド、高尚な趣味への憧れなどではないのです。消費というのが社会とのつながりのひとつの手段であるというのは先に書きましたが、じゃあそこに生まれる消費の感覚というのはどのようなものでしょうか。それは憧れや背伸びと言った下から上を見上げるという目線ではなく、どちらかといえば「同じ感覚を共有していることの気持ちよさ」「同じ趣味の人と話しているときの気持ちよさ」というような、対等な目線なのではないでしょうか。

そこでは消費するという行為の向こう側に、他の人たちの存在を認知し、その人たちとつながり、承認してもらうという意味がこもっています。そして承認は、お互いが共鳴できるという土台があってこそ成り立っていくのです。この「共鳴できる」「共感できる」という土台があって、消費のなかからもコミュニケーションが生まれ、共同体の感覚がやってくると言えるでしょう。

私は2011年に刊行した「キュレーションの時代」(ちくま新書)という本で、この消費とつながりの関係についてこう書いたことがあります。

「消費する対象としての商品や情報やサービス。そうした消費を取り巻くコンテキスト。なぜ私たちはいまこの場所とこの時間に存在しているのか。それをこの商品はどう演出してくれるのか。その消費を介して私たちはどんな世界とつながりどんな人たちとつながるのか。その向こう側にあるのは新しい世界か、それとも懐かしく暖かい場所なのか、それとも透明な風の吹きすさぶ荒野なのか」

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image by: Sakarin Sawasdinaka / Shutterstock.com

 

佐々木俊尚の未来地図レポート』より一部抜粋

著者/佐々木俊尚(ジャーナリスト)
1961年生まれ。早稲田大政経学部中退。1988年毎日新聞社入社、1999年アスキーに移籍。2003年退職し、フリージャーナリストとして主にIT分野を取材している。博覧強記さかつ群を抜く情報取集能力がいかんなく発揮されたメルマガはメインの特集はもちろん、読むべき記事を紹介するキュレーションも超ユースフル。
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