日本の仮想敵は「中国」に絞れ。大英帝国に学ぶ、負けない外交戦略

 

19世紀末、当時覇権国家であったイギリスは新興国のドイツに押され気味でしたが、見事な「大戦略」によって復活を遂げ、一方のドイツは見る影もなく打ちのめされたのは周知の事実。無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では著者の北野幸伯さんが、過去のイギリスとドイツの「戦略の違い」から見えてくる「日本がとるべき外交のスタンス」について独自の意見を述べています。

勃興するドイツは、なぜ落ち目の覇権国家イギリスに負けたのか?

世界3大戦略家ルトワックさんの超名著、『中国4.0~暴発する中華帝国』、はやくも4刷だそうです。まことにめでたいことです。あまりにも面白いので、私も4回完読してしまいました。そして今は、ルトワックさん、もう1冊の「家宝級」名著『自滅する中国』を再読しています。久しぶりに読んでみると、実に深遠なことが書かれています。

今回は、イギリスとドイツについて。経済力や軍事力で優っていたドイツはなぜイギリスに負けたのかを見てみましょう。「外交力」と「軍事力」の関係、「大戦略」と「戦術」の関係などがよくわかります。

昇るドイツ、沈むイギリス

アメリカの前の覇権国家といえばイギリス。19世紀、ビクトリア女王の時代に絶頂期を迎えたこの国。しかし、1890年頃には、新興国家ドイツに負けつつありました。

この当時のドイツは、イギリスを産業革新の面で追い抜きつつあり、その結果としてグローバル市場での競争に勝ち、資本を蓄積し、それをさらにイノベーションにつぎ込むことによって、イギリスが優位を保っていた分野を次々と奪っていた。当時はまだ重要であった鉄鋼産業においても、ドイツの優位は増すばかりであった。

 

また、当時の最先端産業であった化学分野におけるドイツの優位は、すでに絶対的なものだった。
(p90)

う~む。覇権国家イギリス経済分野でドイツに完敗」の様相です。

ドイツは、金儲けだけに励んでいたのではありません。儲けた金を、国民に還元もしていました。世界で初めて「健康保険」「労災保険」「国民年金制度」などを作り、国民の幸福増進にまい進していたのです。

「ていうか、イギリスは、金融でしょ???」

そう思う方もいるでしょう。しかし…。

世界の主要準備通貨としてのポンドの一極支配などによる構造的な優位性の両方が、ドイツ経済の活性化による急速な資本形成によって覆されようとしていた。

 

ハンブルグのヴァールブルク銀行はロンドンのロスチャイルド銀行を抜き去ろうとしていたし、イギリスの最大の銀行でさえもドイツ銀行の前では影が薄くなっていた。

 

ドイツ銀行は1914年に世界最大の銀行となり、金融業界で最も競争力のある銀行になっていた。
(p91)

1890年、誰もが「ドイツの未来は明るく、イギリスの未来は暗い」と考えていました。ところが実際は…。ドイツは、第1次大戦、第2次大戦でイギリスを中心とする勢力に敗北。2次大戦後は、西ドイツと東ドイツに分断されてしまいます。1890年の希望は見事に裏切られ、ドイツの20世紀は、「悲惨」でした。なぜそうなったのでしょうか? 原因はイギリスにありました。

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