京都の風物詩「祇園祭」。氏子らが7月にキュウリを食べない理由

 

祇園祭の歴史

今から1147年前の西暦869年、都をはじめ国々に疫病が流行しました。人々はこれを牛頭天王(ごずてんのう)の祟りとして恐れまました。牛頭天王は釈迦が生まれたインドの祇園精舎の守護神とされています。祟りを恐れた人々は当時の日本の国の数と同じ66本の鉾を立てて祭りを行いました。そして神輿を神泉苑(二条城の側の寺院)に送ることによって疫病の祟りを払おうとしました。これが祇園御霊会(ごりょうえ)の始まりです。当初は、疫病が流行した時だけ行われたようで、毎年行われるようになったのは970年からと伝わっています。

祇園祭は、7月1日の「吉符入(きっぷいり)」にはじまり、31日の八坂神社の境内摂社「疫神社夏越祭」で幕を閉じます。1ヶ月にわたって八坂神社の各種の神事や山鉾行事が市内中心部の各所で行われます。

厄除粽(ちまき)と蘇民将来子孫也

八坂神社の御祭神スサノヲノミコトが南海に旅をされた時、蘇民将来(そみんしょうらい)という人に一夜の宿を願い出ました。蘇民将来はスサノヲノミコトを粟で作った食事で厚くもてなしました。蘇民将来の真心をスサノヲノミコトはとても喜びました。スサノオノミコトは疫病流行の際「蘇民将来子孫也(しそんなり)」と記した護符を持つ者は疫病より免れると約束してくれました。その故事にちなみ、祇園祭では、「蘇民将来子孫也の護符を身につけて祭りに奉仕します。7月31日には、蘇民将来をお祀りする、八坂神社境内疫神社」で「夏越祭」が行われます。この祭をもって1か月間の祇園祭が幕を閉じます

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