「大人のたしなみ」として必要だと思われてきた社交辞令。しかし現在では、同じ文化を共有する日本人同士でも通じない場合もあるそうです。無料メルマガ『1日1粒!「幸せのタネ」』では、なぜ今、同じ日本人であっても社交辞令が通じないケースが多発するのかについての考察がなされています。
社交辞令は「ウチ」の表現
「いつでも遊びにいらっしゃい」という表現。いわゆる「社交辞令」です。
発話者も、本当に「いつでもいい」とは思っていませんし、そもそも遊びに来ること自体、受け入れるつもりがあるかもわかりません。
そこを間に受けて、言われてすぐに「いつでもいいと言われたから」と遊びに行くと「非常識な人」と非難されます。
異文化交流について、よく聞くエピソードの一つをご紹介します。
アフリカから来た留学生は、「いつでも遊びにおいで」と言われたので、知りうる限りの知り合いを集めてすぐに遊びに行きます。しかし、「なんて非常識な」と非難され追い返されてしまいます。
彼の文化では、誘いを受けたら「できるだけ早く、大勢で訪ねて行く」のが礼儀だったので、考えうる限りの最高の対応をしたのですが、日本人には、「突然、大勢で押しかけてくるとは無礼千万」ということになってしまったのです。
ここまで見解の相違が甚だしい例は少ないにしても、日本人で、同じように日本語や日本文化を共有していても、「社交辞令」が「社交辞令」として通じないこともあります。
それは性別や世代、地域、置かれている立場などの社会的なグループの違いによって、背景が異なることがありえるからです。
女性に「ぜひまた誘ってください」と言われたり「今度食事でも」と言われたりした男性が、「さて、本当に食事に誘っていいのか?」と悩むことはよくある話です。
誘えば誘ったで「社交辞令を間に受けて誘ってくるなんて何を勘違いしているんだか」と言われるかもしれません。誘わなかったら「せっかくこちらから誘いやすいようにしているのに社交辞令と思ったのか、あれから何の音沙汰もない。失礼な人だ」となるかもしれません。
どっちだろう? どっちが正解? と悩んでいるウチに時だけが過ぎていく…。
社交辞令は、同じ感覚を共有しているもの同士、「ウチ」でこそ通じる表現です。今の日本社会は、かつての日本ほど、そういった感覚の共有が減っているように思います。良し悪しは別にしてです。
それを踏まえた上で、ひとつひとつ考えなければならない時代なんだ、という認識だけは必要でしょう。
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