あの「9.11」から15年。日本人が語る「あの日、私が見た異様な光景」

 

荷物をおろし、予定されていたホテルにチェックインすると、すっかり真っ暗になっていた。シェラトン・ホテルの出入りも正面玄関は封鎖され、脇のドアがひとつだけ開放されており、しかもガードマンが立っていた。そして、苛立ちでピリピリしていた。

キャナル・ストリートよりも南側、ツインタワー側は居住者以外の一般人は立ち入り禁止になっており、また警備も厳しいとのことで、あまりウロつかないほうがよろしいとアドバイスされた。メディアパスを持つわけでもないので、大人しく自室で原稿を書こうと決意する。

メールをチェックすると、全世界マイクロソフトで私の安否確認のメールが飛び交っていた中にはすでに追悼文まで見られた。いやいや、残念ながら生存しているし…。この2日間、東海岸から真逆のワシントン州をベースとするマイクロソフトだけにニューヨークでの消息不明者は私だけだったのだそうだ。いや、今となっては笑い話に過ぎないが…。

外食しても、倒壊の余波でローワー・マンハッタンの流通が寸断されてしまい、メニューに載せられるものが激減していた。やっとのことで親友たちと合流するものの、ローワー・マンハッタンの地下鉄も壊滅状態のためやたらと待ち合わせの時間に遅れてやって来たマルコだけはWTCに勤務していた従兄弟が行方不明で呑みに行くどころではなかった。そしてその後、その従兄弟の死亡が確認された

それでもブッシュは普段の生活を送るようにと大統領令をリリースしていた。できることも少ないので親友たちとパブで乾杯した。「まったく、久々にお前がニューヨークに帰って来る日を狙って、大きな花火を打ち上げるとは、テロリストも中々やるな!」と親友は笑った。しかし、誰の目も笑っていなかった。我々はお互いが無事生きていることを喜び合った。9月12日は、こうした乾いた笑いの中、酔いに巻き込まれ終わった。

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