日本の技能は凄い。ペリーも目を見張ったメイドインジャパンの底力

 

伊勢神宮に見る技術の継承・発展のシステム

このように現代日本の誇る先端技術製品は、一朝一夕に開発されたものではなく、長い歴史を通じた技術を基盤として生み出されているのである。その背景には、一度つかんだ技術は絶対に手放さず、過去の蓄積の上に代々の革新、改良が積み重なっていくという重層的な発展パターンがある。その典型が伊勢神宮に見られる。

よく知られているように、伊勢神宮の建物は式年遷宮と言って20年ごとに新築される。その際に建物だけでなく、装束神宝と呼ばれる700種類、1,500点ほどの装飾品もすべて作り直される。織機のミニチュアや木彫り馬から、衣服、手箱、硯、刀剣、弓矢、扇などにいたるもので、技術的には織工、木工、刀工、漆工など、伝統工芸技術のほとんどをカバーしている。それらを各分野で日本最高の腕を持つ職人たちが作る

面白いのは、装束神宝には設計図やマニュアルなどが皆無だという点である。職人たちは現物を見て、その寸法を測ったり技法を調べたりして、「見真似」で作る。大きさや様式は厳重に古式に則っている必要があるが、出来映えは恥ずかしくないものにしなければならない。そこに先人の技術を真似しつつ、自らの創意工夫で技術を積み重ねていく作業が行われる。これがあらゆる分野の技術で、20年ごとに繰り返されて、千数百年も繰り返されたら、その蓄積はとてつもないものになる。

伊勢神宮の装束神宝の原型は、正倉院の宝物にあったと推定されている。それらのほとんどは唐の時代に、大陸からもたらされたものであった。しかし、今の中国にはそれらのオリジナルはほとんど残っていない。古代の製法は失われてしまったのである。あるのは、近年たまたま遺跡から発掘されたものだという。古代にいくら素晴らしい発明がなされても、その製法が失われて単にものだけしか残っていないのでは生きた技術とも文化とも言えまい

伊勢神宮の式年遷宮というシステムを通じて、各種の製造技術が脈々と受け継がれ、重層的に発展している所に、日本の技術の独自の特徴がある。

オリジナルとコピー

欧米ではオリジナルとコピーの区別がやかましく、少し前までは日本の技術は欧米の猿真似」に過ぎないなどという批判があった。また、中国や朝鮮でも、日本の文化や芸術は自分たちが伝えたものだ、と主張する輩もいる。しかし、こうした声は技術の発展のプロセスを理解していない所からくる。

たとえば磁器は陶器と違う特別な粘土を用い、より高温で焼成するものであるが、その技術基盤は戦国時代に朝鮮から帰化した李参平によって築かれたものと言われている。そこから柿右衛門の名で有名な白地に豪華な色彩を施した伊万里焼(有田焼)が作り出され、オランダ東インド会社によってヨーロッパに輸出されるや、たちまちのうちに本場中国の景徳鎮のものを駆逐して、王侯貴族の間で珍重されるに至った。

ヨーロッパでは磁器のイミテーションが作られるようになっていたが、ドイツ国王アウゲストは陶工に命じて、伊万里焼をモデルとして本物の磁器技術を開発させ、柿右衛門風のものを作らせた。これが現在、ヨーロッパ随一となっているマイセン磁器である。この技術がヨーロッパに広まり、西洋人好みの純白で細かい肌合いを持つ磁器を完成させた。

こうした歴史を見れば、技術の源流のみで云々することは意味がないことが分かろう。源流が外にあるから「単なるコピーだ」「意味がない」という事にはならない。逆にいくら技術の源流と威張ってみても、現時点で優れた価値あるものを生み出せていなければ生きた技術とは言えない

技術とは国境や民族を超えて伝播していくものであり、その過程でどれだけの工夫を積み重ねたかが問題なのである。その積み重ねられた工夫にこそオリジナリティがある。

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