隠蔽は管理者、責任者の保身から始まる
この件で色々と問題が生じていたクラス担任や重要となる立場の教員は、転勤ということで、現小学校からは姿を消した。例えば、通常ならばもう少し在任していても良いだろうと期間の教員や残留を申し出た教員もことごとく飛ばされたのである。
残っているのは、校長と副校長だ。
多くの議事録は創作が加えられており、必要な発言の記載がなかったりしているのだが、この作成者は書面には副校長とある。
私が話し合い中にした校長や副校長には不利になる話も、議事録では割愛され、あたかも私がこの問題を公開し、彼らの名誉を傷つけようと脅しているように書かれている。
そして、これは教育委員会に送られ、およそ指導課の課長あたりがこれに目を通したのだろう。
ところが、それは全くのデタラメと言わざるを得ない報告がなされたのであり、それはまさに副校長や校長の保身のために作られた資料なのだ。結果、教育委員会は判断を誤り、十分な対策も人も送ることができなかった。
そして、こうした判断ミスは今となっては問題を解決するに足る十分な対応をしなかったという結果のみを生み出してしまい、これは、一方で教育委員会には不都合な事実となった。
ここで初めて、学校と教育委員会の利害は一致するのだ。ともすれば、弱き声に見える保護者や団体を持っているとはいえ、彼らからすれば一介の探偵に過ぎないチンピラ程度の私などは黙殺すれば済むと考えたのだろう。
こうして隠蔽は加速するのだ。
無能な責任者が大義のない保身のみにすがり、それが隠蔽となる。小さな嘘は、それを通すために次々に嘘を重ねなければならず、結果として大きな嘘となっていくのだ。
いじめ問題が何も進展しないのは、このような感覚の管理職やこの問題を真剣に考えようとしない、実行しない学校社会の問題なのだ。
様々な問題を抱える教育行政であるが、こと、いじめ問題についても、抜本的で強力な大手術が必要ではないかと私は思うのだ。
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