弁慶は石フェチだった? あの武蔵坊弁慶の魂が宿る「弁慶石」の謎

 

京都市内の中心地を歩いていると歴史にまつわるおもしろいものが沢山あります。京都はつくづく歩いていて楽しい街だと思います。市内中心地にも色々な史跡があり、その中のひとつが「弁慶石」です。場所は三条麩屋町(ふやちょう)東入の道路の北側にあります。京都のメインストリートの一つである三条通沿いです。よーじや三条店のとなりにあります。結構寺町通のアーケード寄りなので比較的賑やかな場所の近くです。この弁慶石には、男の子が触れると力持ちになるという伝説があります。女の子が触るとどうなるのかは分かりませんが(笑)。

弁慶は産まれる前、母親のお腹の中に18ヶ月もいたと伝えられています。そのため生まれたときから体が大きく、普通の赤ん坊の3倍もあったそうです。髪は肩まで伸びていて、すでに歯まで生え揃っていたと言われています。(そんな子供はいないとか言ってしまっては野暮ですよ・笑)。

弁慶は子供の頃、この弁慶石がある麩屋町に近い三条京極に住んでいたと伝えられています。その時に弁慶が大切にしていたのが、この弁慶石と呼ばれる石です。弁慶は「石フェチ」だったんですね~(笑)。

1189年、弁慶は義経を護衛しながら、一緒に奥州に逃れます。そしてその後現在の岩手県平泉で最期を遂げました。亡くなった後、弁慶の大切にしていた石を京都の三条京極から平泉に移し、弁慶の死を弔ったといいます。

暫くして不思議なことが起きました。京都から平泉に移されたこの石が、「京都に帰りたいと言い出したとのことです(疑ったりしたら野暮ですよ・笑)。石がしゃべりだしたことに周囲の人達は騒然となり、平泉には原因不明の病気が蔓延するようになったといいます。これは弁慶の祟りだと思い、平泉の人達は石を京都へ送り返したそうです。

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