弁慶は石フェチだった? あの武蔵坊弁慶の魂が宿る「弁慶石」の謎

kyoto20170831
 

童謡「牛若丸」や歌舞伎十八番「勧進帳」でも知られる武蔵坊弁慶。悲運の武将・源義経に死を賭して使えた義に厚い人物として、現在も不動の人気を誇っています。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、著者で京の都に造詣が深い英学(はなぶさ がく)さんが、弁慶の人となり、そして京都に今も残る「弁慶石」を紹介しています。

弁慶の人となり

今回は謎多き弁慶の伝説の一つに迫ります。「弁慶の泣き所」ならぬ「弁慶の人となり」などにも迫ってみましょう。弁慶には様々な伝説がありますがそのひとつに、ある大きな石にまつわる伝説が京都市内に残っています。弁慶が愛してやまなかったその「弁慶石(べんけいいし)」をご案内します。

鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟・源義経(よしつね)に仕えた武蔵坊弁慶は、豪傑な荒法師として知られています。現代でも「弁慶の泣き所」とか「内弁慶」などという言葉を聞いたりするので皆さんも名前は聞いたことはありますよね。それだけ彼は有名で且つ昔から庶民に親しまれた存在だったということでしょう。

京都に行くと、義経と弁慶が最初に出会った場所だとされている五条大橋に2人の石碑が建っています。昔から清水寺の参拝客で賑わう五条大橋は今では京都市内でも一番といっていいほど交通量の多い国道です。京都の街の人にも親しまれてきた弁慶ですが、その人となりは意外にも知られていません。

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