石は現在寺町通り沿いにある誓願寺(せいがんじ)に置かれました。その後、明治26年に有志により引き取られ、昭和4年に現在の場所に置かれるようになったようです。それ以来この石は「弁慶石」と呼ばれるようになったそうです。そして、その時に町名も弁慶石町と改められ町の守り神として親しまれています。
実は弁慶という人物は書物や史実に残されている記録がほとんどなく実在したかどうかも怪しいといわれています。それでも昔から歌舞伎の演目にも登場するぐらい有名だったわけです。そのことを考えると日本全国沢山の人々から愛されたキャラクターだったということでしょうね。
オチ
ところでこの石の由来にはまったく別の説があるようです。弁慶石は昔、この町に住んでいた弁慶仁右衛門という大工の家の庭にあった石だというのです。でもやはり「弁慶石」は「石フェチ」だった弁慶が愛したものだったとして語り継がれることを願いたいものです。味気ないお話はご法度なので、皆さんは決してそんなことは言わないようにして下さいね~(笑)。
いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。