【書評】ただただ、下品。自称「グルメ」たちが壊す日本の食文化

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「食通」と呼ばれていた人たちが「グルメ」と言われるようになり、徐々に料理界がいびつな形に変化していく──。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』で編集長の柴田忠男さんが紹介しているのは、日本の料理界と食文化を破壊したミシュランと「グルメ」たちを批判的に扱う一冊。我が国は、どこで道を誤ってしまったのでしょうか。

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グルメぎらい
柏井壽・著 光文社

柏井壽『グルメぎらい』を読んだ。ふつうに美味しいものをふつうに美味しいと言える時代になってほしいと思い書き綴ったものだという。いまのいびつなグルメブームは、謙虚さや感謝の気持ちという長く日本人が保ち続けていた美徳を忘れ去っていることを、著者は深く憂いている。わたしは知らなかったが、世の中の食がとんでもないことになっていた。

食に詳しい人を、以前は食通と呼んでいた。食の歴史、食材、料理法に至るまで蘊蓄を語れる人のことをいうが、いまはグルメと呼ぶことが多い。グルメブームに拍車をかけたのはミシュラン日本版(2007年~)だ。しかも歪な形に。その原因は格付けというランキングである。勝手な評価で店を順位づけるという乱暴なやり方は、日本には馴染まず、定着しないと著者は思っていた。

ところが、日本はいつのまにか受け入れてしまった。料理界の人々までも星の数に一喜一憂するようになった。選ばれる側の料理人が異を唱えないのだから、お客はあれこれいわない。こうして日本の食はミシュランありき、になってしまった。ミシュラン前、ミシュラン後、日本の食事情はがらりと変わった。

著者は覆面調査員とやらに優れた洞察力があるのか、はなはだ疑問に感じている。顔も名も知られることなく、高級料理店の外食経験を重ねることが果たしてできるのか。特に京都は狭い街だから、星付きの店を食べ歩けば、すぐに噂が広まる。ましてそれが外国人だったら、よけいに目立つはずだ。横の繋がりが強い料理人同士のこと、京都でそういう客がいれば情報が伝わるに決まっている

もうひとつ大きな疑問がある。三ツ星クラスはそれほどではないが、京都の二ツ星クラスの料理店、とりわけ割烹店の中には予約困難な店が少なからずある。半年先の予約すら難しい店もあるし、完全紹介制の店もある。いったい覆面調査員は、どういう方法でそれをクリアして店に行くのか。どういうカラクリで、店の人に知られることなく調査できるのか。星の数を決められるのか。

星を付けられる店側も、それを信用して店選びの基準としている客の側も、まず評価ありきで信頼していることも不思議でならない。毎回発表の際に胸を騒がせる料理人も気の毒である。フランスで18年間連続で三つ星を獲得してきた有名レストランが、覆面調査員の抜き打ち調査や、常に評価に応えなければいけないプレッシャーから解放されたいと、2018年版は掲載されるのを辞退した。

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