なぜ松下幸之助は多くの「無謀な挑戦」を繰り返したのか?

 

ビジネスや研究者など、あらゆる分野で成功した人のほとんどが「リスクテイカー」である、とするのは無料メルマガ『戦略経営の「よもやま話」』の著者・浅井良一さん。iPS細胞で知られる山中伸弥教授のリスクテイクについて語った前回の記事『あえて危険を冒す。山中伸弥教授に学ぶ「リスクテイカー」の信念』に続き、今回は現パナソニックの創業者・松下幸之助氏のリスクテイクの足跡をたどっています。

尋常でない人

松下幸之助さんの足跡をたどると、その尋常なさをつくづくと味合わされます。智恵の人であり勇気の人でもあるので、とうぜんそのあり方は智恵のある勇気のある「リスクテイカー」であると言えます。ぎりぎりまで考え抜いた「リスクテイク」であるがためか、瀬戸際の大勝負であるにもかかわらず、そこには一種独特のポジティブな明るさがあります。

なすべきことをなす勇気と、人の声に私心なく耳を傾ける謙虚さがあれば、知恵はこんこんと湧き出てくるものです」と言われている松下さんなので、活動を起こす際には、もう迷いは残さないのかもしれません。

■松下さんの『リスクテイク』の歴史 その1

起業したのは1917年ですが、上司に受け入れなかった自身で発明した改良ソケットをどうしても世に出したいという思いからのものでした。手元資金わずかに95円(現在価値18万円)余りで、生活していた4畳半の借家の一部を工場スペースに作り直し、妻と妻の実弟それに二人の知人を加えて始めたのですが、この時の起業は無謀そのものとしか思えないものです。

ソケットは売れなかったのですが年の瀬も迫ったある日、練り物材料につかっていたベークライトの出来がよかったのか、扇風機の碍盤1,000枚の注文を受けさらに2,000枚の追加注文を受けてなんとか一息をつくことができました(懸命に誠実に務めれば、時に思わぬ幸運もあるようで)。

■松下さんの『リスクテイク』の歴史 その2

1923年、従来のものより約10倍も長持ちする画期的な「砲弾型電池式ランプ」を完成させたのですが、既存の電池式ランプの性能が劣っていたために不評判でそのためどこの問屋も取り扱ってくれません。そこで窮して取った手が、直接小売店に無償で置いて回り、点灯試験をした上で結果が良ければ買ってもらうこというものでした。

当時の金額で1万6,000円余り(2,200万円)かけて、1万個もバラまけば反響はあるだろうと考えてのことで、これがダメなら工場はつぶれるというものでした。

この実物宣伝はものの見事に効を奏して、真価を知った小売店から追加注文が入って2、3カ月後には月2,000個も売ることができたのでした。

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