第二の問題は、校長への、管理職教育が不足していることです。組織経営理論、リーダシップ論からアンガーマネジメントなどのスキル教育が必要なのですが、現存のシステムでは全く足りていません。尊い年月を経て「経験知」を経た、人格も優れた校長先生がいる一方で、パワハラ校長も野放しにされています。これは日本社会に、組織マネジメントいう合理的精神が欠けているからです。管理職への再教育プログラムが不可欠であろうと思います。
第三の問題は、水戸黄門様は、日常生活の中でこそ必要であって、村人たちや町人たちが自殺してしまった後では手遅れだということです。水戸黄門様チームはどうあるべきなのか再考する必要があります。教育界における水戸黄門チーム、つまりいじめ対策委員会などは、将軍様の直属として、権威と実行力に担保された組織にするべきだと思います。
第四の問題は、マスコミの従来前としたワンパターンの報道です。マスコミでは第三者委員会の発表をしばしば取り上げます。真実を知りたいという被害者遺族の心情に寄り添う姿はとても大切ですが、いじめに苦しむ子どもを死なせないためにはどうしたら良いか、という根源的な問題に関しても、切り込んでほしいと思います。
改めて、大人の時間と子どもの時間が、大きく異なることを理解していただきたいと思います。公害裁判や冤罪裁判のように20年も30年も待つことなどできません。いま苦しんでいる子どもがいます。すぐに判断し行動し、解決すること、これを周囲の大人たちが心と力を合わせて行うことです。
私の周囲には、パワハラ校長に反して、いじめを解決に導き、子どもを助けたのち、配置転換を余儀なくされた教諭、そして勇気ある行動の後、次年度、契約更新されなかった親友のスクールカウンセラーがいます。たしかに日本型組織では、許されないことでしょう。しかし、彼らは、自分の立場よりも、子どもの人権や生命を大切に思ったからこそ行動したのです。そこに自己犠牲の精神があります。人を人として存在せしめている尊い精神です。
組織論として、いじめを解決した人を評価する学校組織にチェンジさせていくこと、少なくとも学校組織のマインドセットを変えていくことを心から願ってやみません。子供達は教師の背中を見て育っていくのです。
前:名古屋市教育委員会 子ども応援委員 スクールソーシャルワーカー
現:福祉系大学講師 堀田利恵(ペンネーム 村崎京子)
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