池田教授が一刀両断。いまさら国際捕鯨委員会を脱退する日本の愚

 

IWCは本来の目的を逸脱して、単に捕鯨を禁止するだけの機関に成り下がったというのは表向きの理由であり、これは首肯できる。しかし、これもまた後述するように日本国内には「種の保存法」という名の希少な野生動植物を保全するための法律があるが、この法律も本来の目的を逸脱して、科学的な根拠もなしに単に採集を禁止するだけの悪法に成り下がってしまったのだから、日本政府がIWCを非科学的だと非難するのはダブルスタンダードなのである。

IWCの脱退を推進した二階自民党幹事長の選挙区の中に、捕鯨の町として知られる太地町があり、地元に対する政治的配慮が働いたというのが、一番もっともらしい理由であろうが、国際社会に対する政治的な配慮は働かなかったようだ。僅か半世紀前まで、捕鯨を行っていたアメリカ、イギリス、オーストラリアなどの諸国は、捕鯨が産業として成り立たなくなってしまえば、「捕鯨禁止」を掲げた方が、政治的には有利である。「鯨を殺すのは可哀そうだ」という声は、鯨を食べない人や、捕鯨で生活していない人にとっては、まことに心地よく響く。大衆民主主義社会では、この手のポピュリズムは避けがたい。

いつの日か、人工肉が、牛肉や豚肉よりはるかに安価で美味になり、今行われているような牧畜業が産業として成り立たなくなれば、「生きた牛を殺して食うとはなんと野蛮なんだ」という美辞麗句で世界は覆われるに決まっている。そういう社会で、牛は沢山いるんだから、持続可能な範囲で利用しても良いではないかという正論は、政治的には真に不利になる。今、IWC脱退で日本が世界に発信しているメッセージは、まさにこの手の正論で、捕鯨をめぐる世界の趨勢を見るに、世界の大半となった反捕鯨国の一般大衆の動物愛護という情緒を逆なでする決定であることは間違いない。

いくら論理的に説明しても、情緒で頭を侵されている一般大衆を説得することは不可能だ。日本は野蛮だという風評を覆すことは難しい。ましてや、鯨愛護という情緒に肩入れしているのが国家権力であるとすると、捕鯨という正義を標榜する国は、政治的、経済的に相当なデメリットを覚悟しなければならないだろう。もちろん、日本国内向けには、不条理な条約を押し付ける国際社会に敢然と立ち向かって、正義を貫いた日本というメッセージは、「日本すごい」という妄想に取り憑かれているネトウヨやそのフォロワーたちの幼稚なヒロイズムを満足させるかもしれないし、これらの支持層を頼りにしている安倍政権の支持率アップに多少は貢献するかもしれない。しかし経済力、国力といった意味での実益は全くない

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