NY「ルームシェア」事情。日本と違い「致し方なく」みんなが選択

 

そして、次はシンガポール人のおばさん。結果、そこには今の嫁の自宅に転がり込むまで住み、最後のルームメイトになるのですが、彼女はいつもごはんを食べさせてくれました。中国に別れたご主人と娘さんがいたみたいなのですが、複雑な事情らしく、当時の僕の英語力では相談相手にすらなれませんでした。日本で母が急死した際、すぐに帰国、いつ戻ってこれるかわからない状態になった時も、最後の月は「家賃ももういいから、すぐに日本に帰りなさい」と言ってくれました。何もお礼もできないままだったのですが、数年後、日本食レストランのウエイターとして働いている彼女と再会しました。当初、まったくお金も職もなく、ごはんを食べさせてもらっていた僕が、社長業をしていると他の人から聞いていたらしく、再会した時は涙を流してハグしてくれました。

うちの社員も、シェアハウスでのルームメイトとのエピソードに事欠きません。

スイス人の女性ルームメイトに、部屋でタバコを吸っているところを注意したら、「あんたの冷蔵庫に入ってるクッサい豆の方がよっぽど迷惑よ!」と逆ギレされたり(確かに日本人の僕も納豆の匂いは苦手かも)、オランダ人の推定200キロのおじさんが、部屋から全然出てこないので死んでるんじゃないかと何度もノックすると「うるさいっ!」とピザを咥えたまま怒鳴り返されたり(異様な匂いは彼女の部屋まで漂ってきていたそうです)。

6人のルームメイトが全員中国人女性だった、女性社員もいました。どうしても出されたケーキの上に乗ってる鳩の頭が食べれなくて苦しんだ(冷蔵庫の中の鳩の手の甘酢漬けのせいで、未だに道端の鳩すら恐怖症になったそうです)と言っていました。イスラム圏のルームメイトに、悪気なく豚肉入りの「餃子」を食べさせてしまい、あとで訴訟問題にまで発展しかけた男性社員もいます。

そう、この街でのルームシェアとは文化、習慣も一緒にシェア。家賃が高騰し、他にチョイスがない状態で、あらゆるバックボーンが違う人間と、一緒に暮らすことを意味します。単純に、一つ屋根の下で家賃を浮かせるだけの結果にとどまりません。

で、特徴なのは「致し方なく」という点です。誰も、窮屈な思いをするルームシェアをしたいなんて思っていません。一人暮らしの方が気楽に決まっている。どんな習慣があるのかも知らない状態で、見ず知らずの非日本人と暮らすということは少なからずストレスも伴います。でも、するしかない。常識的な家賃に落ち着かせるためにはそれ以外の方法がないのがこの街の現実です。だからこそ、不可抗力の中でこそ、異文化体験をこれ以上なくすることになるのです(本人の希望とは関係なく)

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