「獺祭」誕生秘話に学ぶ、大ピンチを飛躍のきっかけにする方法

chichi20190628
 

安倍総理がオバマ前大統領に贈ったことでも話題となった、「獺祭」。この人気の日本酒を造っているのが、山口県にある旭酒造です。今では輝かしい業績を誇る旭酒造ですが、実は倒産寸前にまで追い込まれた過去もあることをご存じでしょうか。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、旭酒造3代目社長の桜井博志さんが、経営が傾いた酒蔵をいかにして立て直したかが紹介されています。

圧倒的人気を誇る「獺祭」が生まれた理由

入手困難なほどの人気を誇る日本酒獺祭」。しかし「獺祭」を手掛ける旭酒造は、かつて潰れる寸前でした。

小さな酒蔵を立て直し世界20か国に展開するまでに育てあげた3代目社長の桜井博志さんに経営の軌跡をお話いただきました。


──「獺祭」で手応えを感じ始めたのはいつ頃ですか

桜井 「「獺祭」は平成に入ってすぐから始めていますが、そこから6、7年経った頃でしょうか。「獺祭」は初めから東京の市場に出ていきました。うちのような小さな蔵は、「人口10万人の岩国市で何%押さえる」というような小さな市場でシェア競争をしたら絶対に勝てません。それは経験から分かっていました。それならもっと大きな市場に出ていくしかない。東京進出も、追い込まれたからこそ生まれた苦肉の策でした。

そこから少しずつ軌道に乗り始めましたが、平成10年頃、一度踊り場に陥るんですね。当時は東京の卸業者を使っていましたが、納入しようとすると「そんなに売れていないから要らない」と言う。一方、卸先である酒屋さんからは「最近獺祭を入荷してくれない」という声が聞こえてきました。おかしいでしょう?」

──なぜだったのですか?

桜井 「結局、業者が止めていたんです。卸業者は1つの商品だけを突出して売るより、仕入れたものを万遍なく売りたいわけです。また、中抜き商売だから蔵元と酒屋が密接に結びつくことを好まない。そうすると情報も入ってきませんから、いろいろな判断から卸業者との取り引きをやめて直取引を始めました

当時当社の売り上げが2億円のところその1社で7,000万円の取り引きがありましたから、大きな決断ではありました。また、業界紙などには「売れない時は卸屋に頼んでおきながら、売れるようになったら切った」という書き方をされて、がっくりきちゃいましたけど、結果的にはそこから売り上げが大きく伸びたんです」

──大きな転機となったのですね。

桜井 「転機という意味では、ちょうど同じ頃、地ビールづくりに挑戦しました。それというのも、近年は蔵人の高齢化や人手不足もあって、当社では製造担当の社員を雇い始めていました。しかし、酒は冬に仕込みますから夏場は彼らに仕事がない。そこで、夏にピークを迎えるビールを手掛けてはどうかと思ったのです」

──同じ酒類ですからね。

桜井 「はい。しかし、これは大失敗に終わりました。ビールづくりの認可を得る時にレストランも経営するように条件づけられたんですね。2億4,000万円を投資して、レストランとビール製造の設備を整えましたが、数か月で資金繰りに苦しむようになり、撤退に追い込まれました。手元に残ったのは2億円の負債です。東京の大学に通う息子に教科書代すら振り込めませんでした。この時は人知れず泣きましたねぇ。

そして「旭酒造は潰れる」という噂を聞いた杜氏と蔵人たちは別の蔵に移ってその冬の仕込みには帰ってきませんでした

──え、戻ってこなかった? 酒づくりはどうされたのですか。

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