【カンブリア宮殿】成長を続ける奇跡の経営術「キッコーマン」

 

ヒット連発のキッコーマン~醤油をアメリカに広めた男

キッコーマンを巨大企業に育て上げた名誉会長・茂木友三郎(84)は、「『こんなものが欲しい』と思った商品ができたら、人々は飛び付く。欲求を有効需要に変えることで需要が創造され、付加価値が生まれる」と言う。その勝ちパターンは、まだ誰も知らない「新たな需要」を生み出す商品作りにある。

茂木がまだ30歳になったばかりの頃、醤油需要の先行きに危機感を抱き、攻め込んだのはアメリカ市場だった。まだ醤油の味を知らないアメリカ人に、和食ではなく、肉料理に合う調味料として醤油を売り込んだ。

「2年近く毎月アメリカと日本を往復しました。ありとあらゆることが大変でした」(茂木)

そして1973年、アメリカに海外初の醤油工場を建設。辛抱強い格闘の末、醤油をアメリカでも当たり前に使われる調味料として定着させた。これがキッコーマンの海外事業の躍進のきっかけとなり、今や年商2700億円を稼ぎ出すまでになった。

茂木はもう一つ、キッコーマンの巨大事業を作り上げている。それが1995年に参入を決断した「たれ・つゆ」事業だ。

しかし、その決断に社内は大反対だったという。堀切功章社長は「それまでのキッコーマンはつゆ・たれメーカーさんに醤油を原料として供給する立場でした。それまで取引していたメーカーさんと競合するわけですから、営業担当部署からは批判的な声をありました」と、当時を振り返る。

醤油の取引先を怒らせてまで参入したたれ・つゆ事業。今、開発現場で取り組んでいるのは、具を極端に混ぜ込んだ「超おろしのたれ」。「野菜と果実が半分以上、具材がふんだんに入っています」(つゆ・肉用調味料グループ・戸上純一)と言う。流れ落ちないほど濃厚にし、食べやすさにこだわった。従来のおろしだれと比べると、その差は歴然だ。
「新しい食べ方、新しい形状。常に新しい視点で需要を創造していかなければならないという考え方で、商品開発をしています」(戸上)

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