日本を平和国家として尊敬される国にした「黙契」
個人的になりますが、私の母方の家は、先ほど申し上げたように維新の際には、官軍の先鋒を務めた神官を祖先の一人としていますが、同時に一族の中には河合栄治郎、小野寺信もおります。河合は東條系の権力によって職を追われ、著書を発禁とされ、その義理の息子を南島に送られて殺されています。
小野寺については、対国民党和平策を潰された後には、駐在武官として赴任していたスウェーデンから必死の思いで打電したヤルタ協定問題の諜報を握りつぶされ(これは東條系と松岡系の双方がワルだと思いますが)ています。ですから、家系ということでは仇敵であるのですが、それでも、この「黙契」という問題に関して、東條を馬鹿にしたり、無視したりすることはできません。
例えば東條家でも孫世代の中には、この「黙契」を理解する能力がなく、したがって日本の国のかたちの深い部分を知ることもなく、祖父の「名誉回復」を声高に叫ぶような人間も出てきたわけです。ですが、それを少ない例外とすれば、この「黙契」というのは機能しており、その結果として、日本は連合国に入り、見事に軽武装の平和国家として最終的には国際社会から尊敬を受けるまでになったのだと思います。
神格化ではなく、事実を正しく理解せよ
平成という元号の終わりに当たって、上皇が「戦争のない治世」であったと胸を張ることができた、それもこれも、この「黙契」が機能したからです。保守派が、占領軍の延長である駐留米軍を「安い傭兵」として利用できたのも、左派が無自覚な「非戦国家を誇るというナショナリズム」を謳歌することができたのも、全てはこの「黙契」に関係するという考え方ができます。
刑死した7名を神格化したり、名誉回復することはしない、だが、その犠牲の事実、特に不名誉の全てを背負い、また永遠に背負いつつ去って行ったという事実については、理解できる人間は理解しなくてはならないのです。
三木に始まる政治家に加えて、その厳粛な重さを松平は決定的に破壊し、昭和天皇を悔恨から自由にならないまま去らせ、そして今、8月15日に「騒ぎ」を起こすことで、更に泥を塗っているのです。その結果として、静寂であるべき盂蘭盆会が、そして恐らくは昭和天皇が意識的に同じに重ねた終戦の日という、静寂であるべき一日が汚されているわけです。
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