大阪都否決が縁の切れ目。なぜ菅首相と大阪維新の共同戦線は崩壊したか?

 

10月29日に開かれた衆院本会議の代表質問で、日本維新の会の馬場伸幸幹事長は冒頭から以下のような発言をした。

「いよいよ11月1日、大阪市を4つの特別区に再編する大阪都構想の是非を問う住民投票が実施されます。…大阪都構想への道を開いたのは…二重行政にメスを入れようと、当時野党だった自民党有志議員が立ち上がったことでした。改革をけん引した自民党のプロジェクトチームで座長として議論をリードされたのが菅総理でした」

松井氏は、父の代からの大阪府会議員だ。たたき上げの菅氏は松井氏とウマが合ったのだろう、野党議員という気軽さも手伝って、維新への支援に力が入っものとみえる。

2015年5月17日、最初の住民投票で、大阪市民の反対の意思が示され、失意に沈んでいた松井、橋下両氏を励ましたのも菅氏だった。

橋下徹氏が政界引退を表明し、ふつうなら大阪都構想はこれで幕引きだ。ところが、菅官房長官は橋下氏と松井氏を東京に呼び、安倍首相とともに同年6月14日夜、都内の料理店で会食した。

当時、いわゆる安保法制などをめぐって与野党の対立が激化し、安倍官邸にとって野党分断に欠かせないのが維新という存在だった。

「大阪都構想、まだあきらめることはない」「国政でも協力し合おう」

その会合では、おそらくこんな話が安倍首相、菅官房長官の口から出たのだろう。

その後、日本維新の会は国政において、安倍政権の補完勢力をみごとにつとめあげ、大阪は、官邸の支援で「大阪・関西万博」の開催地という褒美を手にした。

ただ、政権を手助けするだけの今の路線では維新の国会活動に焦点が当たりづらく、加えて人材難もあって、大阪地区以外での党の人気は一向に盛り上がらない。住民投票に勝利して、政策の1丁目1番地である「大阪都構想」実現に一歩を踏み出すか否かが、党の将来を決めると言って過言ではなかった。

まさに背水の陣だったが、その気負いが悪いほうに出た。安倍・菅の流儀を見倣ったわけでもあるまいが、二重行政の解消などメリットを徹頭徹尾アピールする一方、都合の悪いことは隠し通した。

メリット、デメリットをはっきりさせたうえで、それでもなおメリットが大きいという説明をすれば、もっと説得力があったかもしれないが、そうではなかったため、市民に胡散臭く受け取られた。選挙をめぐる取引で公明党を自陣に引き入れたのも、決してプラスには働かなかっただろう。

2025年をもって、大阪市民ではなくなり大阪府北区、中央区、天王寺区、淀川区、いずれかの区民となる。政令指定都市・大阪市が持っていた財源、権限を府に差し出して、特別区に格下げされる。それを甘んじて受け入れなければならないとなれば、誰しも二の足を踏むだろう。投票の日が近づくにつれ反対の市民が増えてきたのもうなずける。

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