大阪都否決が縁の切れ目。なぜ菅首相と大阪維新の共同戦線は崩壊したか?

arata20201105
 

1万7,000票という僅差ではあったものの、有権者から2度目のノーを突きつけられた大阪都構想。「党是」を失ったこととなる大阪維新の会としてはこれ以上にない打撃となったわけですが、菅首相にとっても大きな計算違いだったようです。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、一度は頓挫しかけた都構想を後押ししてきたのが菅義偉氏だったという事実を紹介するとともに、その裏にあった菅氏の思惑を暴露しています。

住民投票敗北、大阪都構想を支えた菅首相に大打撃

大阪市を廃止して4つの特別区をつくる、いわゆる「大阪都構想」は11月1日の住民投票によって否決され、大阪市は存続することになった。

ふたたび「維新の会」の悲願を拒絶した大阪市民の意思。それは、同党代表の松井一郎氏に敗北を突きつけるとともに、「都構想」を名乗る根拠法の成立に尽力して松井氏や橋下徹氏を後押ししてきたこの国の首相、菅義偉氏の思惑を打ち砕いた。

「維新」が住民投票で勝利し、その余勢をかって間近に迫る衆議院選で党勢を拡大すれば、必ずしも自民党内の基盤が固くはない菅氏にとって、心強い味方となるはずだった。

「大阪都構想」の根拠法。略称は「大都市法」だが、正式名称は「大都市地域における特別区の設置に関する法律」といい、2012年8月28日に可決、成立した。この法案作成に中心的役割を果たしたのが、当時の野党・自民党の菅義偉議員である。

「維新」はもともと自民党大阪府議団から派生した。2009年4月、府庁の移転問題を機に、松井氏ら6人が府議団を飛び出し新会派「自民党・維新の会」をつくったのが源流だ。

菅氏と松井氏。二人が急接近するきっかけは、2011年11月に行われた大阪府知事・大阪市長ダブル選挙での勝利だ。大阪府知事だった橋下徹氏が鞍替えして市長に、維新幹事長、松井一郎氏が府知事に、それぞれ当選した。

松井氏はその前年4月、橋下氏らとともに大阪維新の会を立ち上げ、看板政策として「大阪都構想」を打ち出していた。しかし、大阪府全域を「大阪都」とし、政令指定都市である大阪市を廃止するというその構想の根拠となる法律がなかった。

東京だけは1943年に、東京府と東京市が統合して、東京都になった。ただそれは、戦争遂行にあたって集権的な体制を整えるのが目的であって、経済発展をめざすための再編ではない。

それでも、戦後から今に至る東京の繁栄が、都区制のたまものと信じて疑わない松井氏らは大阪府知事・大阪市長のダブル選を制した実績をひっさげて「大阪都構想」実現のための新法制定を国政政党に働きかけた。

おりしも「維新」の勢力を取り込もうとはかる与党・民主党と、最大野党・自民党は、その願いをかなえるべく動いた。そして、与野党7会派の議員立法として提案されたのが「大都市法」である。

提案者代表として民主党議員の名が使われていたため目立たなかったものの、実のところ、この法案を主導したのは現首相の菅義偉氏だった。

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