MAG2 NEWS MENU

【第14回】「俺、この仕事向いてないかも」って思ったらどうしてる? 春日武彦✕穂村弘対談

世の中のどれだけの人が本当に自分に合った仕事をしているのでしょうか。「適正」という言葉がありますが、もしかしたら適した仕事に就いている人は少ないかもしれません。そんな人生の大半の時間を費やすことになる仕事について、精神科医の春日武彦さんと歌人の穂村弘さんが対談。働くことに人生のリアリティは必要なのでしょうか?

春日武彦✕穂村弘「俺たちはどう死ぬのか? 」

第10回:死後の世界って言うけど、全然違う人間として死ぬんじゃないかな。春日武彦✕穂村弘対談
第11回:なんでいつもこうなるんだ…人はなぜ、負けパターンに縛られるのか?春日武彦✕穂村弘対談
第12回:SNSの追悼コメントで自己アピールする人ってどう思う? 春日武彦✕穂村弘対談
第13回:猫は死期を悟って「最期の挨拶」をするって本当? 春日武彦✕穂村弘対談

過去の連載一覧はこちら↓

悪夢の血まみれ当直医体験

穂村 僕は誰かの命に関わるような責任を負うことは避けたいと思っていて、だから、医者とかバスの運転手とか飛行機のパイロットとかを仕事にしている人が信じられない。自分の判断や技術次第で、人の生き死にが左右されるなんて耐えられないもの。先生は平気なの?

春日 うん。例外はあるにせよ、基本的に医者には「こういう病気で、こういう状態だったらこうする」みたいな筋道やパターンがあるからさ。それを粛々と遂行するイメージ。ドラマとかにありがちな、熱血医師が気合いでどうした、なんてあやふやな世界じゃないからね。

穂村 例えば、自分は内科の医者なのに、たまたま当直で1人しかいない時に限って、事故で全身の骨が折れた患者が運ばれてきたら「あちゃー! マズイぞ」ってならない? 明日なら外科医担当の日だったのに! みたいな。

春日 それに近いことはあるね。俺は精神科医だから、今では事故の患者が回ってくることはないけど、専門外だったり、積極的に得意ではないことにも、立ち場上対応しなければならないことはあるよ。

穂村 パニックにならないの?

春日 パニックになっても問題が解決するわけじゃないから、いかに患者を専門の医者に繋げるかを考えつつ、とりあえずできる範囲でやるしかないよね。不備があると訴えられちゃうから、細心の注意もする。

また専門内であっても、当直だと大変なこともあるよ。まだ産婦人科医だったときのことだけどさ、バイト先の医院で医者は俺だけ。助産婦もいない、新人の准看護師1人だけがスタッフって状態でお産を扱ったんだ。

分娩は無事済んだし胎盤も出た、子どもも無事だったんだけど、そのあと子宮からの出血が止まらない。お産が終わると子宮は縮んで、そうなると傷口が閉じたのと同じ理屈で出血もなくなるんだけど、稀に子宮がまったく収縮しないんだ。収縮剤を直接子宮に注射しても駄目でさ、内部からどんどん血が流れ出てくるの。

穂村 うわぁ、大変だ。

春日 アイスノンをお腹に載せて冷やしながら、片手は膣の奥まで突っ込んで、もう片方の手はお腹の上に置いて、両側から思いっきり子宮を押さえてね。圧迫して血を止めようというわけなんだけど、「そろそろいいかな」と思って手を離すと、すぐまたじゅわじゅわっと血が湧き出てくる。

そうなるとまた両手で強く圧迫。その繰り返しでさ。俺は分娩台の前に立ったまま身動き取れずで疲労困憊だわ、かといって他に誰もいないわ、患者の状態も心配だわで、本当に泣きたくなったよ。

このシチュエーションだと、どんな名医でも俺と一緒で、両手で圧迫しながら祈るしかない。出血が一定ラインを超えると、酸欠と同じになって褥婦は「あくび」を始めるんだね。これが地味に恐怖でさ。准看護師に輸血の準備はさせるんだけど、子宮が最後まで縮まなかったらザルに水の状態で血が流れていくからね。

穂村 それで、どうなったの?

春日 結局数時間後には運良く止まったんだけどね。ラッキーだっただけ。教科書的にはね、血がどうしても止まらなかったら、最終的には開腹して子宮を摘出せよということになっているんだけど、幸いそれはせずに済んだ。

もし摘出したら、どんなに釈明しても恨まれただろうなあ。まあ産婦人科って、そういうのっぴきならないことがけっこう起きるものなのね。だから医者には、訴訟対策の保険っていうのがあるんだけどさ、掛け金が一番高いのが産婦人科と小児科。

穂村 それは、リスクが高いことの証だね。でもさ、出産はそもそもイレギュラーな出来事じゃないんだから、ある意味、神様の仕事が雑だよね。最初に人間を作った時に、もっとこう二重三重に保険をかけて、普通に生まれてくるのが当たり前のシステムを構築しておいてほしいよね。

春日 俺もそう思うんだけどさ、現代人には経膣分娩なんていう野蛮な営みはそぐわなくなりつつあるのかねえ。そうなると余計に産婦人科医や助産婦が必要になるわけでさ。

「俺、精神科医の方が向いてるな」と思った瞬間

穂村 やっぱり先生は素晴らしいお医者さんなんだね。あらためて尊敬するよ。ちなみに、これまでに何人くらい赤ん坊を取り上げたの?

春日 平均して1日1人として、1年で365人。それを6年って感じだね。

穂村 それは世界への確かな貢献だよ。でもさ、そんな大変な体験をしているのに、なんで崇高な人格にならないんだろう? いつも「俺は理解されてない!」「あいつは許せない!」とかばっかり言ってるじゃん(笑)。

春日 ほっといてよ! それを言うのが趣味なんだから(苦笑)。でもさ、俺が自分のメンタルに問題があるなと思うのは、それだけ子どもを取り上げていても、「生命の誕生」をお手伝いした、みたいな根源的な喜びが何もなかったんだよね。

穂村 なんでだろ? それは人によるものなの?

春日 と思うよ。「お子さんが産まれてよかったですね!」ということを、常に心の底から言える医者もいるから。たとえ相手が、「堕す金ないんで、産むことにしました」とか平気で言ってのける奴であろうと、「絶対こいつ虐待するな」って感じの畜生な親であってもさ。

穂村 でも、僕は、そういうふうに常に疑いなく祝福できる人とは友だちになれそうにないな。やっぱり現実を見れば、手放しで「よかったよかった」とは言えないケースもあると思うもの。

春日 でしょ? そう思うよね。だけど、無条件に祝福できるような人物が存在してこそ、世の中には救いってものの可能性が保証されるような気もするんだなあ。

この対談のテーマに寄せるなら、産婦人科勤めの時、もともとよその開業医にかかっていた女性が、子宮肉腫と診断されて紹介でやってきたことがあってね。で、その医者っていうのがひどいヤツで、「子宮肉腫は普通のガンよりタチが悪い」みたいなことを患者に伝えちゃってたみたいでさ。もうちょっと言い方ってもんがあるだろ、と思ったよ。

患者もすごいショックを受けてて、「私やっぱり死ぬんですよね」とか声を震わせながら言ってくるわけ。「肉腫」って言葉が生々しく響いたようで、スパゲッティを食べられなくなりました、とも言ってたな。たぶん本人の中で、病名の語感と、あのニョロニョロ感が重なって感じられたんだろうね。

穂村 リアルだね。それでどうしたの?

春日 「そんなことないですよ」とも言えないから、困ったよ。非常にタチの悪い病気で、死ぬ可能性が高いことは確かだから。かといって、「その通りです、大変ですよ」とも言えないでしょ。しょうがないから、向こうがしゃべるのを延々と聞いてるしかないわけ。酸いも甘いも噛み分けた人、って感じを漂わせながらさ。

で、幸い俺は患者の話を聞くのが苦じゃない性格だったから、心中穏やかではないんだけど、まあ一生懸命聞いてさ。でも、やっぱり人間って、しゃべるとどこか楽になるんだよね。そういう意味では、人に話をさせるというのは治療においてすごく大事なことなんだな、ということを身をもって知った経験ではあった。自分が携わっている文筆――表現行為の意味合いと重なるところでもあるしね。

穂村 もしかして、それで精神科医になったの?

春日 精神科の方が自分には適正あり、と思った根拠の1つではあるね。あとさ、ちゃんと人の話を聞くのって、意外に難しいものなのよ。相槌の打ち方1つにしても、やっぱり上手い下手がある。

それから、聞きっぱなしで終わるということに、みんな耐えられないみたい。「なんか言ってあげないと」「なんか解決案を示さないと」とつい思いがちでさ。その挙げ句に、「明けない夜はない」なんてつまらないことを言って、相手をがっかりさせたりして。

でも、精神科医という仕事においては、「じゃあ、こうした方がいいですよ」みたいに、安易に「答え」を出すのは正しいこととは言えないんだよね。だから、「しゃべることができた」という事実を、行き詰まった現状から抜け出す第一歩なんだと実感してもらうようにしているよ。

穂村 うーん、説得力があるね。

会社を辞めて感動「いつまで寝ていてもいい!」

春日 昔の仕事の話をしていて思い出したけど、以前大学に教えに行っていたことがあってね。冬の朝に上野で京成線に乗り換えて北千住方面に向かうんだけど、まあ寒くて嫌で嫌で。

でも、途中に谷中の墓地がパノラマみたいに見渡せる場所があってさ。そこを通る時、墓地に朝日がきれいに差し込んでるのを見ると、ちょっと救われるような気持ちになったんだよね。墓石に光が当たって、なんかすごいあったかそうでさ。「ああ、あの中に入りたい」なんて思ったりしてた(笑)。

穂村 いきなり墓地かあ、のんびり温泉に浸かるくらいじゃ駄目かなあ。今は、東京の西側にある三鷹から、東側の足立区にある病院まで電車で通勤しているんだよね? どんなルートなの?

春日 朝は中央線各駅停車で秋葉原まで行って、日比谷線に乗り換えてそのまま東武線に入り、梅島か西新井まで行く感じかな。

穂村 はいはい。

春日 穂村さん、あのへん知ってるの?

穂村 知ってるよ。会社員をしてた頃に同じ路線を逆向きに使ってたから。あの頃は、酔っぱらったサラリーマンが車内で小学生に土下座してたり、自分の狭い世界像からははみ出すような現実を見せられては「うー」ってなってたな(苦笑)。なんだかわかないけど、もうやめてくれよ、みたいな気分。先生は、通勤中は何して過ごしているの?

春日 たっぷり1時間半はかかるから、まあ読書したりしているかな。三鷹が始発だし、日比谷線も都心に向かうのとは逆方向だから、ほぼ座ってられるしね。あとは、ぼんやりと「物に生まれ変わったらどうするか」とか考えたりね(参照:【第11回】なんでいつもこうなるんだ…人はなぜ、負けパターンに縛られるのか?)。でも、通勤は嫌でしょうがないな。

穂村 じゃあ、お医者の仕事そのものは嫌じゃない?

春日 全然平気。嫌なのは通勤だけ。それこそ「どこでもドア」が欲しいよ。

穂村 話を聞く限り、仕事もすごく大変そうだし、僕が先生ならとっくに医者はリタイアして物書きに専念してると思うな。実際、会社が辛くて辞めちゃったクチだしね。

春日 それは穂村さんが、物書きとしての自信があるからだよ。

穂村 そうかなあ。自信より何より、とにかく勤めるのが嫌だっていうのが大きかったけどね。

春日 それに医者を辞めたら、俺の人生、何のリアリティもなくなっちゃうと思うしさ。

穂村 人生のリアリティ? 人生にリアリティなんてない方が気楽じゃない?

春日 いやぁ、取り留めもない感じになっちゃいそうな気がしてね。メリハリもなくなり、根性も真剣さも雲散霧消してしまいそうで。

穂村 僕は、会社のリアリティほど苦しかったものはないけどね。

春日 それは、仕事上いろいろと押し付けられたりしたからじゃないの?

穂村 まあ、でも、総務だから当たり前だよね。そもそも会社のリアリティってものがぴんとこなくて、ぜんぜん体が動かないんだよ。社長にタクシー止めさせちゃったり、いろいろヤバかったけど、でも命に関わるようなことはない。

一方、先生の場合、患者さんと家族の人生とか、時には生死まで肩にかかってくるわけでしょ? そっちの方がずっと大変そうだけど。

春日 でも、日々ささやかな勝利感みたいなものもあるからさ。患者が生活を立て直すきっかけになれた、とか。もっと別な考え方もあることに気付いてもらえた、とか。あるいは、ひたすら他人を拒絶するばかりだった患者と冗談を言い合えるようになった、とか。

らしくない言い方をするなら(笑)、一種のやりがいみたいなものを感じているから、この仕事を続けてられるんだろうね。

穂村 偉いなあ。僕は、会社を辞めた時は天国かと思ったけどな。毎朝好きなだけ寝てていいんだ! って。

春日 将来が不安にはならなかった?

穂村 それは不安だった。四十二歳で、その時点で、もう組織はどこも雇ってくれないだろうな、って年齢になってたし。でも、それを上回る解放感があったから。「好きな時に寝ていい」というのが、自分の中で、2番目の夢を圧倒的に引き離すくらいの1番大きな願望だったのね。

会社にいながら「今、1時間昼寝させてくれたら1万円払ってもいい!」って何度も思ってたくらいでさ。そんな状態で起きてたって、仕事とかできるわけない。会社にいる間中、「ただ起きているだけ」みたいな感じで、そんなの効率悪いじゃん、昼寝した方がいいじゃん。でも会社員である限り、それは許されないんだよね。

春日 普通は、そういう時は前の日に早く寝るとかして対処するんじゃ?

穂村 それは分かるの。だけど、なんかできないんだよなあ。

春日 なんか患者さんを前にしているような気分になってきたな。「それは理屈から言ってこうでしょ? だから、こうすればどうですか」と理路整然と言っても、「いや、だけど……」って屁理屈をこねる人が少なくなくてね。

「だけど」じゃないだろ! とは思いつつ、俺はすごく優しい声で「それじゃダメですよ。だけど、気持ちはよく分かります」って言うんだけどさ(笑)。

「地に足が着いている」は呪いか?

穂村 先生は、これまでに働いてなかった時代とかはあった?

春日 病院を辞めて何にもしてない時期もあったよ。半分引きこもり状態で鬱屈していた。暇ではあったけど、全然楽しくなかったな。

穂村 そういう人もいるよね。僕の友だちも、会社を辞めた後、夕方に駅から勤め人の群れが出てくるのを見てめちゃめちゃ焦燥感に駆られたって言ってた。あと会社の同期の人が、一度辞めてまた戻ってきたことがあって、その時に「すごく安心した」って言ってたのをよく覚えているよ。その心理は何なんだろうね? 

駅の改札から出てくるスーツ姿の人を見て、「この人たちは会社から帰ってきたんだ」「彼らはみんな定期券を持っているんだ」みたいなことに焦る感覚って。かつては自分もそうで、でも今は喪失したものを、サラリーマンの彼らが当たり前に持ち続けていることに不安を覚えるのかな?

春日 まあ、気持ちは分からんでもないけどね。寄る辺なさと、一種のやましさを感じたりさ。俺もそのタイプだろうから。

穂村 でも、先生はこれまでに数々の修羅場をくぐってきたわけでしょ? もう一生分働いた、とか思わないの?

春日 思わない! 全然思わないよ。働いてなかった頃、午前中からホラー映画のDVDなんか観てるとさ、もうがっくりくるわけ。

穂村 何やってんだ俺、みたいな?

春日 そう。しかもその時間、女房は看護師として一所懸命働いてるわけでさ。恥ずかしいよ。

穂村 そういうものか。なんか漠然と、人間は一生のうちにだいたい20年分くらい働けばノルマ達成になるものだと思ってたよ(笑)。会社でも家事でも介護でも。先生は医者として、質・量ともに絶対その倍以上働いてるよね。しかも、物書きもしてるから下手したら、もう80年分くらい働いてるんじゃないの。

春日 だけど俺、物書き仕事の方は、いまだにやましいものを心に抱えているからね。「そんなもん書いて、お前は遊んでるだけじゃん」って言われたら、言い返せないもの。ちゃんと依頼された仕事で、印税や原稿料が発生していてもね。なんか、地に足が着いていないという感じに囚われてしまって……自己嫌悪だよ、まったく(苦笑)。

穂村 昔から、そこに拘泥するよね。でもさ、僕はむしろ「地に足が着いている」ことこそが、苦痛の根源な気がするけどな。その象徴の1つとして「家」みたいなものがあって、自分を縛るそうした存在を、すべて敵だと思っていた。

先生が理想としている状態って、例えば精神科医としての仕事をきちんとこなした上で、物書きとしてもいいものを書いている、みたいなことでしょ。それで言えば、僕は「無理だ!」って諦めちゃったけど、物書きをしながらちゃんと会社の仕事をしている人もいっぱいいるんだよね。例えば、詩人の吉岡実(1919~90年)なんかは、会社では1行も詩を書いたことがない、と言っていた。

春日 つまり、仕事は仕事として、きちんとまっとうしているわけね。その上で、創作の手も抜かない、みたいな。たぶん、そういう「大人」な振る舞いに憧れるのかな、俺は。

穂村 それが立派だということは、僕も重々承知しているんだよ。でも……自分がやろうとしたら壊れてたと思う。会社員時代、いつも言い聞かせていたことがあるのね。夜中まで残業しようが、定時で上がろうが、この会社を辞めたら、1か月もしないうちに社員のみんなは僕のことなんか忘れてしまうだろう、って。だから「頑張らないぞ」と思って、毎日定時に帰ってたの。

本当は、働かない代わりに給料を半分にしてほしかったけど、それは許されないんだよね。時々、「本当に働きませんね」と面と向かって言ってくる人もいたよ。でも、それは本当のことだから、相手を悪く思ったりもしなかった。

で、案の定、辞めた後は僕なんて最初からいなかったようなもの。会社の人たちにとっては、そんなことよりも、ずっと大事なことがあるんだよ。権力闘争で急に社長が首切られたりとか、下っ端には想像もつかないような原理で会社は動いていて、僕なんかには理解不能な世界。

春日 そもそも、なんで会社に入ろうと思ったの? そんなに不向きなのに。

穂村 自営業が多い家系とか、教員になる家系とか、医者ばかりの家系とか、家によって傾向ってあるじゃない。先生もお父さんが医者でしょ。うちは、親族にサラリーマンしかいなかったから、自由業なんて選択肢は思いつかなくて、大学出たら会社に入って……みたいなことに何の疑問も抱かなかったんだよ。

春日 まあ、サラリーマンが当たり前の家庭で育ったからといって、それが「=適性がある」というわけではないからねぇ。医者とか、他の仕事にしてもそうだけど。

穂村 サラリーマンは「一部上場」みたいな単語ですっごいアドレナリンが出るみたいで、僕にはまったく意味不明だから不安だった。ものすごい隔たりを感じる。

例えば、僕らのまわりは全員しりあがり寿や高野文子を知っているのに、そこから一歩外に出て、「経済」を中心とした「一般社会」に行くと、急に「え、誰それ? 知らない」とみんなに言われてしまう、この不思議。目の前ではっきりと線が引かれるような感じがして、とまどってしまうんだよ。

マジョリティ側から見ると、僕らなんて存在しないようなものなんだろうね。せいぜい「短歌ですか。いいねえ。大人になっても好きなことやってて」くらいにでも言われればまだいいほう。たぶん、名前を知らない虫みたいな感じだと思う。

春日 決定的に価値観が違うと、多数派のほうが正義になっちゃうからね。まさに暴力だよ。まあ医者であると、1人ひとりが零細企業の社長みたいなところがあるから、仕事はキツくてもメンタル的には穂村さんよりも楽だったと思う。変人と揶揄されても気にしないし。

方向性は微妙に違えど、俺としては仲間がいるようで嬉しいけどさ。あ、だからこんな対談を企画されているのか(笑)。数々の屈託を抱えながら、俺たちはどうやって来たる「死」を幸せに迎えられるのか? 

というわけで、次回はついに最終回なんだけど、こうなると俺らなりの「幸福」の在り方を模索してみる必要がありそうだね。

(第15回に続く)

春日武彦✕穂村弘対談
第1回:俺たちはどう死ぬのか?春日武彦✕穂村弘が語る「ニンゲンの晩年」論
第2回:「あ、俺死ぬかも」と思った経験ある? 春日武彦✕穂村弘対談
第3回:こんな死に方はいやだ…有名人の意外な「最期」春日武彦✕穂村弘対談
第4回:死ぬくらいなら逃げてもいい。春日武彦✕穂村弘が語る「逃げ癖」への疑念
第5回:俺たちは死を前に後悔するか?春日武彦✕穂村弘「お試しがあればいいのに」
第6回:世界の偉人たちが残した「人生最後の名セリフ」春日武彦✕穂村弘対談
第7回:老害かよ。成功者が「晩節を汚す」心理的カラクリ 春日武彦✕穂村弘対談
第8回:年齢を重ねると好みが変わる? 加齢に伴う「ココロの変化」春日武彦✕穂村弘対談
第9回:俺の人生ってなんだったんだ…偉人たちも悩む「自己嫌悪な半生」 春日武彦✕穂村弘対談
第10回:死後の世界って言うけど、全然違う人間として死ぬんじゃないかな。春日武彦✕穂村弘対談
第11回:なんでいつもこうなるんだ…人はなぜ、負けパターンに縛られるのか?春日武彦✕穂村弘対談
第12回:SNSの追悼コメントで自己アピールする人ってどう思う? 春日武彦✕穂村弘対談
第13回:猫は死期を悟って「最期の挨拶」をするって本当? 春日武彦✕穂村弘対談

【ニコ・ニコルソン関連記事】え、こんなことで? 指導のつもりが「うっかりパワハラ」に注意

春日武彦(かすが・たけひこ)
1951年生。産婦人科医を経て精神科医に。現在も臨床に携わりながら執筆活動を続ける。著書に『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎)、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『鬱屈精神科医、占いにすがる』(太田出版)、『私家版 精神医学事典』(河出書房新社)、『老いへの不安』(中公文庫)、『様子を見ましょう、死が訪れるまで』(幻冬舎)、『猫と偶然』(作品社)など多数。
穂村弘(ほむら・ひろし)
1962年北海道生まれ。歌人。90年、『シンジケート』でデビュー。現代短歌を代表する歌人として、エッセイや評論、絵本など幅広く活躍。『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、連作「楽しい一日」で第44回短歌研究賞、『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞、『水中翼船炎上中』で第23回若山牧水賞を受賞。歌集に『ラインマーカーズ』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』、エッセイに『世界音痴』『現実入門』『絶叫委員会』など多数。
ニコ・ニコルソン
宮城県出身。マンガ家。2008年『上京さん』(ソニー・マガジンズ)でデビュー。『ナガサレール イエタテール』(第16回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員会推薦作品)、『でんぐばんぐ』(以上、太田出版)、『わたしのお婆ちゃん』(講談社)、『婆ボケはじめ、犬を飼う』(ぶんか社)、『根本敬ゲルニカ計画』(美術出版社)、『アルキメデスのお風呂』(KADOKAWA)、『マンガ 認知症』 (佐藤眞一との共著・ちくま新書) など多数。

漫画&イラストレーション:ニコ・ニコルソン
構成:辻本力
編集:穂原俊二
print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け