いずれ誰にでもやってくる「死」。普通に生活をしていれば自分の死は先かもしれませんが、「他人の死」は意外と身近かもしれません。そんな他人の死に遭遇した時、人は何を感じ、どう思うのでしょうか?精神科医の春日武彦さんと歌人の穂村弘さんが「他人の死」をテーマに語り合っていきます。
春日武彦✕穂村弘「俺たちはどう死ぬのか? 」
第9回:俺の人生ってなんだったんだ…偉人たちも悩む「自己嫌悪な半生」 春日武彦✕穂村弘対談
第10回:死後の世界って言うけど、全然違う人間として死ぬんじゃないかな。春日武彦✕穂村弘対談
第11回:なんでいつもこうなるんだ…人はなぜ、負けパターンに縛られるのか?春日武彦✕穂村弘対談
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追悼文は月並みな方がいい?
穂村 僕は、実際に亡くなった人を目の前にした経験って、あんまりないんだけど、お葬式とかでそういう場面に立ち会うことになると、静かなパニック状態に陥ってしまうんだよね。なんというか、「ここにはいられない!」みたいな気持ちというか。もちろん、実際にその場を逃げ出すとかではないんだけど、頭が一種の空白状態になってしまう。
春日 分かる気はするよ。空白を感じる時もあるし、その場の空気が威圧感の塊みたいに感じられる時もあるもんね。
穂村 うん。空白に威圧されているみたいな感じかな。その時、その場で自分が成すべきことが分からないし、仮に分かったとしても、とてもできそうに思えない。「底知れぬ謎に対ひてあるごとし/死児のひたひに/またも手をやる」って、石川啄木が子どもを亡くした時の短歌なんだけど、これを見て、ああ、自分だけじゃないんだ、と思った。
春日 で、無力感に打ちひしがれる、と。
穂村 そうなの。例えば、亡くなったのが友だちの場合だったりすると、やっぱり故人に対する言葉を何か言った方が良いんだろうな、ということは分かる。でも、棺に入った姿を目の当たりにしてしまうと無力感に囚われてしまって……。
「さようなら」とか「ありがとう」とか、「もうちょっと僕はこっちで頑張ります」とか、そういう言葉を発することができず、自分が「無」の状態になってしまう。でも不思議なんだけど、後日その時のことを文章にすることとかはできるの。
春日 それって、何が違うの?
穂村 それは結局、読者に向けて書かれている文章なんだろうね。だから書ける。でも、故人当人に向かっては言葉が出てこない。「ありがとう」とか言ってみても、なんかふわふわと感じられて。
春日 俺は故人について、想定読者なしで書いたことがあるよ。
穂村 弔辞として?
春日 いや、単にエッセイみたいな形で。どこからも依頼なんかされてないけど、依頼原稿と同じように。
穂村 語りかけるような感じで書いた?
春日 ううん。あの人はこういうことを言って、こういう風な人物で、こんな「いかにも」な出来事があった、みたいなことを淡々と。
穂村 でも、そういう時でも「透明な読者」みたいな形での、想定読者っていない?
春日 いるといえばいる、のかな。自分で1人2役を演じてね。読者役の俺は書いている俺よりももうちょっと素直で常識をわきまえている、って設定だね。しかしさ、追悼文がやたら上手いヤツっているよね。普段は別にそうでもないのに、故人を偲ぶとなると急に「お、やるじゃん」ってなる(笑)。
と、ちょっと小バカにするような言い方をしたけど、そういうことをサラッと出来ちゃう人って、生活者としてすごくグレードが高いなと思ってしまうんだよね。葬式とかで、挨拶を見事にして見せるタイプとかさ。
穂村 先生にとって、いい追悼文ってどんなもの?
春日 没個性的な方がいいな。あえて月並みを書ける方が、大人として練られているという感じがする。変に気の利いた追悼文を読むと、そこで個性出してどうすんだよ、とか思っちゃう(笑)。
際どい追悼文は、敬愛の裏返し
春日 穂村さんは交流関係も、関わるジャンルも幅広いから、追悼文の依頼はけっこうあるでしょ?
穂村 でも、書けないことも多いよ。先日亡くなった歌人の岡井隆さん(1928~2020年)の時もそうだし、先生との共通の友人だった漫画家の吉野朔実さん(1959~2016年)の時も、どちらも最初に依頼が来たものは断ってしまった。追悼文の特徴として、さっき死去の報せを受けたばかりなのに、締切が明日とか明後日みたいな感じになるんだよね。
それで無理と思っちゃったんだ。あと、新聞とかだと、どうしても業績紹介みたいな感じにならざるを得ないじゃない。みんなそうだろうけど、それもその時の自分の気持ちからはズレるんだよね。
春日 即時性が高い媒体だと難しい、ってことね。じゃあ、少し時間をおけば書けるということ?
穂村 吉野さんの時は、ちょっと遅れて、自分の連載の中で、「追悼」みたいな冠なしで書いたよ。ごく私的な感じでね。ただ、それが許される関係性と、許されない関係性がある。自分が、その人の業績をきちんと説明しなくてはならない立場である場合とかさ。
岡井さんの場合は、その役割はお弟子さんたちが担うことになる。僕はそういう関係性じゃなかったから、時間が経ってからでも、私的な内容でも良かった。先生は、『本の雑誌』の吉野さん追悼号(2016年8月号)に文章を寄せてたよね。
春日 うん、だけど他の人たちが書くであろう内容とのバランスがいまひとつ取りづらくてさ。だから『猫と偶然』(作品社)って本を昨年出した時に、書き下ろしのエッセイみたいな形で俺の心情を少しばかり書いたの。Yさん、って表記にしたけど。ま、それはそれとして、結局、岡井さんの追悼文は書いたの?
穂村 うん。やはり個人的な思い出を書く形でね。岡井さんの最後の言葉は「無念」だったと聞いた。92歳まで生きて、倒れる直前まで仕事をし続けた。つまり、一般的に見れば大往生なわけだけど、それでも「無念」というところが岡井さんらしいなと思った。
春日 穂村さんは、普段追悼文を書く時、どういうふうに書くの? その人がいなくなってしまったことに焦点を当てるとか、生前の仕事振りとか人柄にフォーカスするとか、いろいろあると思うんだけど。
穂村 追悼文って、その故人との関係性で決まるから、型みたいなものはないよね。自分との関係をなるべく純化して書くしかないような気がする。ただ、同じ追悼文でも、媒体の違いでタイミングや内容が変わらざるを得ないから、無理だと思ったら依頼の段階で断るしかないんだよね。
春日 これを書くと失礼になっちゃうかも? みたいなことは悩まない? どこまでぶっちゃけていいのか、みたいな。これはちょっと不謹慎かも? って躊躇したりさ。
穂村 自分の中にある感情が、どの程度敬愛の想いに裏付けられているかによるかな。それさえあれば、エピソードそのものが不謹慎だったとしても、ある程度はOKな気がする。逆に言うと、そこまでの感情がない場合、書いていいか迷うようなエピソードをわざわざ入れようとは思わないもんね。際どい話を書きたいと思う背後には、それだけの思い入れが相手に対してあるからに他ならないだろうし。
でも、不謹慎かどうかと言えば、岡井さんが亡くなった後、一番最初に僕が言及したのはラジオだったんだよね。業績に触れつつ、歌を何首か引いて話したんだけど、その中のユーモラスな歌を解説しながら、思わず笑っちゃったんだよ。
でも、それがどのくらいいけないことなのか、よく分からなくて、後から思い返した時に、「そういえば僕は亡くなったばかりの大先輩の歌の話をしながら、笑ってたぞ」って。でも、それは或る意味、歌の力を示すことでもあって、いいと思えたんだけど。