長崎海星高いじめ自殺事件で伏せられた第三者委「報告書」の仰天中身

 

現在伏せられている第三者委員会の報告書には

関係者によれば、当初は第三者委員会の報告書は公開状態であったというが、現在は第三者委員会の報告書は伏せられている。

私は関係者からそれらを教えてもらい、添付されるメッセージなどを含めればおよそ70ページに及ぶ結果に目を通したが、重要な指摘はいくつもあった。

第三者委員会の報告書表紙

第三者委員会の報告書表紙

まずは、いじめ予防教育の欠如と言える状態である。例えば、「いじり」という言葉があるが、原則「いじり」は「いじめ」そのものなのだ。

いじめ防止対策推進法にある「いじめの定義」では、一定の関係性があって何らかの行為があって、それによって被害者が心身の苦痛を感じたときにいじめとなる。

つまりは、その行為を行為者や傍観者が、いじめかどうか判断するのではなく、行為を受けた側がどう感じるかがいじめの認否のキーなのである。

例えば、お笑い芸人さんの「いじり」は高度な技術(間のとり方や話の流れの作り方)によって成り立つ、真摯に笑い向けた計算があると同時に互いの了解があるものだが、一般生徒がこれの真似をしても、互いの了解もなければ、高度な技術もない上に観客もいないのである。

つまり、こうしたシーンで言う「いじり」とは行為そのものは「いじめ」であって、その区別はないのであり、被害者ではない立場の勝手な思い込みに他ならない。

また、生徒の誰もが知っていたA君の行動(お腹が鳴らないようにおにぎりを食べるとか、暗号のような文字を書くなど)やA君に向けて「喉をならす」などの行為を教員らは誰も知らなかったなど生徒への観察が著しく不足していたことや、生徒が自殺したにもかかわらず、学校長や理事長がほとんど対応していない様子などが指摘されていた。

学校にとってはあらゆる面で不足し、起こるべくして起きた事態の可能性が高いから、あらゆる面での改善や襟を正す姿勢が求められていたのだが、学校にとっては不名誉で不都合であるということからか、これらは報告書ごと伏せられてしまったのである。

別件とはなるが、同校では2019年5月30日付報道で、学校の敷地内で男子生徒が首をつっている状態で見つかり、その後死亡が確認されたという件が報道されているのだ。

つまり、少なからずほぼ連続して自殺者が出ているということを意味する。

私学にまつわる諸問題

現場にいると、公立校よりも手のつけようもない私学の酷さが目立つと感じる。隠ぺいが横行し、事実いじめがあるのに、内々に転校や不登校で処理されてデータでは見えないものが出てくるのである。

例えば、いじめの被害者が被害を訴えることを私学側に疎まれて、被害をいうことがいじめをしたという不名誉な事実を周知しようとして加害者の名誉を傷つけているから、これも「いじめ」だとして、被害者を加害者にしてしまうことすらあるのだ。

中には自前で関係者ばかりの第三者委員会を勝手に形成し、この弁護委員会とも言える自称第三者委員会に、いじめを否定させることすら珍しくもないのである。

保護者世代と話をしていると、公立よりも私学の方がいじめの対応などしっかりしているような根拠なき印象を持っている方に多く出会うが、それはまさに、「うちは大丈夫シンドローム」に近い、根拠なきステレオタイプに他ならない。

今回、長崎海星高校のいじめの対応などはそれこそ異常だが、私が思うにこれは表面化したに過ぎないように思えるところがある(突然死の件などは、何が起きているのか理解ができなかったほど酷いが)。

私学には私学の教育の自由があろう、それが特色になり、それが良いところになることは理解できる。しかし、生徒の安心や安全はどんな理由があろうが、全ての学校が守らなければならぬことだ。

教育行政については、地方分権や様々な法律などがあって一律に何かが決められない事情があるが、真に子どもの命や子どもの可能性、強いては日本の将来を守る気が為政者にあるのであれば、横断して変えなければならぬ方があるのであればこれを変え、生徒の命を害することがあるならばこれを調べ、何としてでも子どもを守るように動くべきだ ろう。

最後に、冒頭の発起人は私に送ってくれたメールで「学校は誰のためにあるの?」ということを考えてほしいと言っていた。

学校は間違いなく児童生徒が育つためにある。学校が、嘘の練習の場、保身の場ではあってはならない。

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