韓国「慰安婦が敗訴」の歴史的判決。日韓は時計の針を2015年にまで戻せ

 

2.朝鮮植民地支配の清算とは

ここで改めて強調したいのは、隣国を侵略し支配したことに対する日本の政府と国民の態度と覚悟です。政府と国民は、朝鮮半島を軍事占領し、日本に併合し、その地の人々に植民地支配を強いた事実を忘れることなく、そのことを反省し、謝罪する姿勢を確立し、堅持しなければなりません。韓国併合時に、若き石川啄木は、「地図の上 朝鮮国に黒々と 墨を塗りつつ 秋風を聞く」と詠みました。啄木の、朝鮮の人々への思いが伝わってきます。いま一度、思い起こしたいと思います。

和解のためには外交的な努力と政治的な決着が必要です。と同時に、一朝一夕に問題は解決しない、とりわけ加害国の国民は、絶えざる努力を続けていく覚悟をもたなければならないと思います。一度謝罪すればそれですべてが終わると考えてはならないのです。それがこの問題を語る基本的な態度です。韓国は、戦後、大きな政治的な転換をしてきました。植民地からの解放後、南北に分断され、民族同士の戦争(朝鮮戦争)も経験しました。北との軍事的対峙を根拠とする軍事政権を、長い、流血をともなう運動で覆し、民主化を勝ち取ったのが1987年でした。

日本の政治的転換は、第2次世界大戦の後に起こりました。「大日本帝国」は解体され、民主主義、平和主義、国民主権の日本国憲法のもと、再出発したのです。日本は、連合国のカイロ宣言の条件、「朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする」を受け入れて、降伏し、朝鮮の独立を承認しましたが、植民地支配を反省し、謝罪するには到底至りませんでした。そのことが、1965年の日韓基本条約にも反映しています。その後、1960年代後半のベトナム反戦や大学闘争を経る中で自らの歴史を問い直し、侵略と植民地支配を掘り起こし、加害の自覚をもつに至ったのです。

3.日本の政府、国民は何をしてきたか

韓国に民主化の時代が到来すると、女性団体が1990年に慰安婦問題を公然と提起し、日本政府に、事実を認めて謝罪し被害者に対する補償を求めました。戦時中、日本軍の慰安所に連行され、日本軍の将兵に性的な奉仕を強いられた女性たちの問題はあまりに深刻でした。その証言は、聞く者に激しい怒りと言いようのない悲しみを引き起こしました。証言を聞いた者は、その訴えに応える責任があります。日本の政府、国民もこれを無視することはできませんでした。

日本政府は韓国政府の促しにも助けられ、内外の資料を広く集め、調査した結果、1993年、河野洋平官房長官談話を発し、事実を認め、謝罪しました。

「本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。……政府は、……いわゆる従軍慰安婦として数多くの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からのお詫びと反省の気持ちを申し上げる」

これは日本軍の慰安婦とされたすべての被害者に対して向けられた言葉でしたが、ことのほか、植民地支配による朝鮮半島の被害者、市民に向けて発された言葉であったことは明らかです。これが、植民地支配を加えた朝鮮半島の人々に対して、日本の政府、国民が表明した最初の謝罪でした。

戦後50年にあたる1995年7月、日本政府は、慰安婦問題に対する「償い(贖罪)」の事業を実施するために、財団法人アジア女性基金を設立し、慰安婦被害者に対し、総理大臣署名の手紙、基金理事長の手紙とともに、国民からの募金による一人あたり200万円の償い金、政府資金から医療福祉支援300万円相当をだすことになりました。

総理大臣の手紙には、「私は、日本国の内閣総理大臣として……いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々対し、心からのお詫びと反省の気持ちを申し上げます。……わが国としては、道義的責任を痛感しつつ、……過去の歴史を直視し、……女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております」とありました。

同じ年の8月15日には、閣議決定をもって「村山富市総理談話」が発表されました。この中で、総理は「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して甚大な損害と苦痛を与え」たことに対して、「痛切な反省」と「心からのお詫び」を表明すると述べました。1965年から30年かけて、日本の政府と国民の反省がようやくここに達したのでした。ここで慰安婦問題に対する謝罪が、日本政府の植民地支配認識において決定的な役割を演じたことがわかります。

しかし、首相が「手紙」を出しながら、「償い金」を政府資金から支出しないとしたことが韓国の被害者、運動団体から強い反発をうけました。その結果、アジア女性基金の事業はフィリピン、オランダでは基本的に受け入れられましたが、韓国と台湾では拒否の態度がひろまり、当時の韓国政府登録の慰安婦被害者中の3分の1以下の方だけが事業を受け入れたにすぎませんでした。基金は2007年に解散しています。

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