2つ目は、異なる利害を代表する政党が少ないという問題です。例えば、生活に困窮している非正規労働者を代表する団体はありません。子育てや現業の現役世代の代表もないわけです。その一方で、自営業や高齢世代、また地方の補助金の絡んだ産業に関しては、利害代表が厳然として存在します。つまり、自分たちの代表を持っている層と、持っていない層が偏在しているのです。
3点目としては、大手の多国籍企業やその取引先に勤務している人々にとっては、ビジネスの相手が北米や中国であったりするので、国内の動向よりも、国際的な環境変化の方が、自分たちの利害に直結しているのです。彼らに取っては、習近平政権の動向やバイデン対トランプの対立の方が、菅政権や小池劇場よりも切実だと言えます。
つまり、多国籍企業とそのグループに関与している人々には、日本の国内市場というのはマイナーな存在なのです。自動車産業が良い例で、日本の市場が軽四中心にシフトしつつ縮小している中では、日本における政策の変更よりも、海外の動向の方が重要になってきます。
4点目は、根の深い感情論から来る分断があるということです。新型コロナのワクチン接種への賛否、原子力の平和利用への賛否、中国や韓国との関係、困窮者への支援の是非など、世論を2分する問題について、日本社会は合意形成を諦めているかのようです。従って、こうした問題については、論点をそのまま選択に供することはできず、政治家を使い捨てにし続けるしかないわけです。
5点目は、その一方で党議拘束があるという問題です。例えば、ある政治家がその選挙区の事情から来る特別な政策について強く訴えて選挙に通ってきたとしても、最終的に議場での投票行動を行う際には、有権者に託された意見ではなく、所属政党における党議に縛られてしまいます。よく、共産党に対して党内民主主義がないという批判があります。これはその通りで大変な問題ですが、よく考えれば他の政党についても、意見を言うのは勝手という程度の話であり、議場における票決の際には自由はないのです。
ですから、結果的に選挙区事情からくる個別の政策を通そうとすれば、議場での論戦やロビイングによる票読み工作ではなく、密室でボス格の政治家に嘆願し、ネゴをして行かねばなりません。党の決定にしてもらわないと、何も動かないからです。
ですから、同じ1票、1議席でもベテラン政治家の場合と新人の場合は、政治的パワーが全く異なることになります。これでは、間接民主制として不完全であり、結果的に、個々人の政治家の政策は無視されて、単なる数合わせになるわけです。そんな中で、結局は政策ではなくキャラクターや人間模様によって政治が動くというバカバカしいことになっていくわけです。
近年は、政治への不信から議員定数の削減をすれば「スカッとする」などという無責任な議論が流行しています。冗談ではありません。そうではなくて、党議拘束を解除した上で、きめ細かく小選挙区の有権者の意見を国政にダイレクトに反映させていくことが必要なのです。党議拘束というのは、間接民主制の敵でしかありません。
いずれにしても、今回の都議選の「人間ドラマ」にダマされてはいけないと思います。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より一部抜粋)
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