都議選「小池劇場」にダマされるな。日本の政治制度に“5つの問題点”

 

考えてみれば、国政選挙にしても似たようなものです。ここ数十年の国政選挙においても政策選択として意味があったのは、2012年の第二次安倍政権登場における金融緩和政策への支持ぐらいです。ですが、これも民主党の野田政権への批判票が押し上げただけでした。

その後は、アメリカ流の見方からすれば超リベラルな金融政策「アベノミクス」が継続されたわけですが、意味合いが正確に理解された上での支持ではありませんでした。その安倍政権は、その後は保守票を政治的求心力にしながら中道政策を続けるという綱渡りを続けました。日韓合意、日米相互献花外交、日中外交、譲位と改元など、右派は反対していた政策を「安倍晋三」という政治家の「右派への信用」だけで進めることができたのです。

ですから、結果オーライではあったのですが、具体的な政策について民意を問うたことはありませんでした。そして、現在も菅政権に対しては漠然とした不信感が広がる一方で、政策提案を持たない小池都知事の政治的存在感が増しているわけです。

こんなことが続くようでは、日本の経済や社会の再建のための改革が民意の後押しで強力に実施されるなどということは起こり得ないでしょう。そもそも東アジアの中で民主主義のお手本として胸を張ることも難しいわけです。

こうした日本の政治風土について、解説ならいくらでもできます。このメルマガでも議論してきたように、主権者が絶望と不信のあまり代表への委任をしない現象だというのがあると思います。そもそも日本社会は膨大なノンポリ人口でできているということもあります。更にその奥には、貴重な思春期の時代をブラック校則で思考停止に追い込む封建時代のような教育があるという指摘も可能です。

更に言えば、今回など正ににそうですが、全てを「永田町風雲録」的なドラマにして説明してしまうメディアの罪も大きいでしょう。例えばですが、現在の政局というのは小池百合子というキャラと、菅義偉というキャラの対決であり、そこに二階俊博という不思議なキャラが媒介しているといったストーリーは面白いかもしれませんが、政策論とは無関係です。

確かに個人的なパフォーマンスや、人間関係で政策が回っていくのは事実かもしれませんが、それでは民意の反映のしようがないからです。いずれにしても、そうした政治風土の問題というのは根深くあるのは事実です。ですから、どれも全くの間違いではありません。

けれども、そんな政治風土論議をしていても前へは進みません。もっと、本質的な観点として、日本の政治風土の奥には構造的な5つの問題が横たわっている、そう考えることから出発したいと思うのです。

まず1つ目は、世論形成に大きな影響力を持つ賃金労働者、つまり企業や団体に勤務している人の多くは、終身雇用契約によりその企業や団体に帰属しているという点です。勿論、近年の日本では転職というのは一般的になっています。ですが、終身雇用集団に属している人々に取っては、生活設計を左右するのは年功序列における地位の安定です。

勿論、景気が悪くて賃上げや賞与に影響が出るのは困ります。ですが、それ以上に、その企業の中で出世するということの方が、生活設計に取っては重要な問題です。また、仮に景気動向や政策の影響があっても、ある範囲内であれば転職に踏み切ることはなく、結局は企業内のポジションを取ることで生き残る、その努力の方が優先するわけです。

例えば、正社員として終身雇用が保障され、その企業の経営基盤が強固である人には、毎月の有効求人倍率や失業率というのは、自分の身分とはダイレクトにはつながっていません。リテールをやっているのなら、消費者の購買力が脅かされるのは困るでしょうが、失業率の増大イコール自分の身分に危険が迫るということになりません。その結果として、投票行動が明確な利害ではなく、印象論だけで「遊んで」もいいだけの「余裕」があるのです。

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