中学校中退の過去も。『なんでも鑑定団』北原照久氏の人生を変えた恩師の一言

 

二度とこの学校には通いたくない!教師の一言で不登校を決意!

北原: 僕自身も子どもなりに「このままではいけない」という気持ちがあり、今度こそ頑張ろうと思ったんです。でも、中学入学初日、担任になった先生から最初のホームルームで「君たちは他のクラスの邪魔をしないでくれ」といわれたんですね。

どういうことかというと、僕ら団塊世代は子どもが多いから1クラス800人くらいいました。各クラスの学力は平均になるように学生は振り分けられましたが、僕たちのクラスは学年最下位の子どもたちだけ集められたんです。そのため担任の先生が「お前たちは、ほかのクラスの子どもの邪魔をするな」といったのでしょう。

岡崎: それは言ったらだめですよね!

北原: 本当にそう思います。僕はその先生の一言を聞いて、カチーンと来て2時間目から授業をボイコットしたんです。

岡崎: 自宅に帰ったんですか?

北原: いえ、帰らないです。自宅に戻ったら「なんでこんなに早く帰ってきたんだ」と怪しまれますから。そのため北の丸公園だとか日比谷公園などに行っていました。よく覚えているのは、靖国神社の前の九段会館です。そこにお濠があり、白鳥のえさばこが置いてあるんです。当時、お濠に白鳥がいて、さらにそのそばに亀が日向ぼっこしていたんです。僕はそれをみているのが好きだったんです。それで2時か3時くらいまでそこにいて家に帰るという時間のつぶし方をしていました。

まさかの中学退学!「僕の学生時代は何だったんだろう」

岡崎: 学校にはあまりいってなかったんですか?

北原: ほとんど行ってないです。うちは商売をしていたこともあり、父親も母親も忙しかったんです。また上の兄弟3人はよくできたから親もそれほど気にしなかったのでしょう。また、僕は、勉強はできなかったものの、親の手伝いはすごくよくしていたんです。親が「だれかお使いにいってきてくれないか」というと、毎回僕が「はーい!」と言って買いに行ってたんです。ほかの兄弟たちはみんな勉強で忙しかったからね。そういう意味では、僕はすごくいい子だったんです。

さらにいうと、それには裏があって、お使いに行くとお小遣いがもらえるんですよ。いつも商店街に買い物に行くのですが、みんな顔見知りのおじさん、おばさんばかりです。「今日もお使いに来たのか。家の手伝いをしてえらいな」といわれて、お店の人が5円、10円とまけてくれるんです。僕はそのお金を貯めてお小遣いにしていたんですよ。だからすごく経済観念がしっかりしていました。ちゃんと手伝えばお小遣いをもらえると学んだんですね。そんなふうに気楽に過ごしていたんですが、実は中学3年の2学期に学校を退学になってしまったんですよ。

岡崎: 中学を退学になるのは、なかなかすごいですね(笑)

北原: 義務教育ですが、なりました。一橋中学の100年史みたいな本があり、その本に載ってますよ。「今はテレビ東京『開運!なんでも鑑定団』の鑑定士として出ていますが……」みたいにね(笑)

中学生で学校を退学になったことは、さすがに僕にとっても応えました。挫折を感じたわけです。自宅に帰る途中、パチンコ屋さんの前を通ったら、舟木一夫さんの「高校三年生」という学園ソングが聞こえてきたんです。僕は、退学になった中学には友達1人しかいなかったから、僕の学生時代は何だったんだろうと胸が苦しくなりました。

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