厚生年金が年間100万円以上増額になるケースも。長期加入者の「44年特例」とは

 

さて、高度経済成長に入ると、農村部から都市部への集団就職というのが見られるようになりました。

工業化が進んでいったため、多くの労働力が必要となり、その労働力を確保するために大量の労働者が都市部に就職しました。

集団就職していった人々を金の卵と呼び、彼らは中学を卒業すると早速地方から都市部へと移っていきました。昭和30年代から昭和40年代ごろに中学を卒業した人はそういった集団就職した人が多くいました。

大量の労働者が都市部へ集まってきたので、都市の過密化と地方の過疎化、そして核家族化の進行が問題となっていきました。

農村で働くよりも、都市部へ出て働いたほうが収入になるので、特に男子は都市部へ移り住んで働きました。農村部に残ったのはじいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんとなり、これを三ちゃん農業と呼ばれました。

子供が都市部へ行ってしまう事で核家族化が進むと、残された親は自分自身の老後が心配になってきます。

それまでの家族の在り方だった親子三世代の形が薄れていったからです。

長男は実家を継ぐ事で、老後の親の面倒を見てくれていた親子三世代の機能が失われる事で、一体私の老後はどうしたらよいのか…という不安が大きくなっていきました。

その不安が昭和33年の総選挙に反映されて、国民年金の創設が最大の目標となったわけです。

岸信介内閣の時の自民党が勝利し、国民年金は昭和34年4月に創設されて、保険料を支払う形は昭和36年4月から始まりました。

昭和36年4月からはサラリーマンや公務員以外の人も、年金に加入して将来は年金を受給する事が出来るようになったわけです。これが国民皆年金の始まり。

老後の面倒を見てくれるはずだった子供が都市に出ていったから、国が私たちの面倒を見るようにしてほしいという思いが国民年金の創設に繋がったんですね。

国が年金で老齢の親の面倒を見るから、子供は自分の事を中心に考えて好きなように生きる事が出来る。

もし年金が無ければ子供が毎月10万円とかそのくらいを自分の給料から支払わないといけない。

自分の両親の面倒は家族が負担するという形が、年金制度が整備される事で、現役世代みんなで保険料を出し合って老齢の人の面倒を見ようねという形に変わったわけです。

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