スカートをはくのがイヤで登校拒否に
中学に進学したユズシカさんの前に立ちはだかった障壁が、制服。スカートをはくたびに身体が強い拒絶反応が示すようになったのだとか。
「中学時代、私服は完全にメンズでした。母はそんな私を理解してくれて、『これ、似合うんじゃない?』と男の子が着る服を選んでくれるようになりました。けれども制服だけはどうしても女子用を着なければならない。スカートをはくのが腑に落ちず、中学3年生になると、1年の半分は休んでいました。ただ勇気がなく、『スカートをはくのがいやだから登校したくない』とは言えませんでしたが」
女子用の制服に耐えきれず、遂に登校拒否に至ったユズシカさん。出席日数が足りないものの、「病欠」扱いの温情(?)と特別な試験を経て卒業。
この頃になるとユズシカさんの胸中に「自分が間違っているのではないか」「自分は病んでいるのではないか」と迷いが生じ始めます。そうして女子として扱われる不快を克服すべく、荒療治のようにあえて女子高へ進学するのです。
「女子高に入ると、ボーイッシュだった私は目立ちました。他のクラスでファンクラブができたり、ラブレターをもらったり。私自身も同級生に恋愛感情をいだくようになりました。女子としてふるまわない私を彼女は『カッコいい』と言ってくれた。『女の子が女の子を好きになる気持ち、わかるよ』とも言ってくれた。ドキドキし、温かい気持ちになりました。恋愛もどきな時間を楽しみましたね。けれども友達関係のまま。まだ学生だったからか、お互い踏み越えられなかったのです」
「共用トイレ」を探して街をさまよった
同性に恋心をいだく日もあった女子高校生時代。しかし制服を忌避したい気持ちを払拭できず、自主退学。通信制高校へ再入学し、十代で働き始めます。
「どこでアルバイトをしても、私の扱いに困っているようでした。身体は女だけど心は男。そんな私を初めて受け容れてくれたバイト先は、大阪道頓堀で人気があった今はなきオカルト風居酒屋『ゼノンの食卓』。もともと非日常がテーマの居酒屋だから、理解してもらえたのかな。ここは本当に自由だったし、楽しかった。お客さんも私を女だとは知っているんだけれど、男として扱ってくれましたね」
社会へ出て、男性にしか見えない外見で暮らせるようになったユズシカさん。しかし往時の街は現在ほどトランスジェンダーを受け容れるようにはできていません。特に困ったのが「トイレ」。
「ひたすら“共用トイレ”を探しました。女子トイレ、男子トイレ、どちらに入っても奇異に思われるのがしんどかった。当時は現在よりも雑居ビルのなかに共用トイレがあった時代でしてね。ビルというビルにすべて登って男女兼用のトイレを探しました」
LGBTと公衆トイレの問題は、現在も変わらず社会の大きな課題となっています。