当時、VHSが擦り切れるくらい丸暗記した全セリフが、今の僕の英語の基盤になっています。そのくらい、田舎の小さなテレビで何度も、何度も観ました。
いつか必ずトムクルーズにインタビューする。当時、周囲の友人に宣言しまくっていました。
当時の英語の成績は1か2でした。そこから26年後、2011年の12月。ニューヨークはマンハッタンのジーグフェルド・シアターにて、『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコ』」のプレミア・レッドカーペットで、直接1対1で約7分間でしたが、インタビューすることになります。
直後、中学校の同級生から「息子に夢ばっかり追わずに、もっと現実を見ろ、と教育してきたけれど、今日から改めるよ」と連絡をもらいました。彼の息子は、当時の僕たちと同い年とのことでした。
その後、2014年の『オール・ユー・ニード・イズ・キル』、2015年の『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』でもプレミア・レッドカーペットに招待され、生トムを至近距離で見るも、インタビューするには至りませんでした。
改めて、2011年のインタビューは奇跡的だったのだなと振り返ります。
そして、今回はそのどれよりも勝手に緊張していた。だって、あの『トップガン』の続編なのだから。そんな同世代のボンクラ親父、日本中に、いや、世界中にいるのだと思います。
プレススクリーニング数日前から、期待というより緊張でよく寝付けない。いよいよなんだ、またマーヴェリックに会えるんだ…、ニューヨークの妻に「バカなの?」と電話で突っ込まれつつ。
プレススクリーニング会場は、IMAGICAの竹芝メディアスタジオ。
イマジカって、芸能人からよく聞く制作会社だ。とんねるずやナイナイのラジオでもしょっちゅう、貴明さんが、岡村さんが発してました。
そこのスタジオ。田舎育ちの僕は、当然建物の前で、自撮り。東京出張中は、ニューヨークに旅行で来る日本人くらい“おのぼりさん”になります。ニューヨークで自撮りなんて絶対しないけど。
最前列のど真ん中に座る。至近距離で大迫力映像を体感したい、というより、自分とスクリーンの間に何の遮蔽物も入れたくない。
だって、だって、あの『トップガン』の続編なのだから。しつこいけど。
マンハッタンの最前線からニューヨークの今がわかるメルマガ詳細はコチラ