統一教会の悲願「日韓トンネル」を真剣に検討していた大物政治家の実名

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旧統一教会の関連団体が建設を進める日韓トンネル。佐賀県唐津市と韓国の釜山を海底で結ぶという荒唐無稽ともいうべき構想ですが、かつては日本が国として、真剣に開通を検討していた事実があるようです。今回のメルマガ『モリの新しい社会をデザインする ニュースレター(有料版)』では著者でジャーナリストの伊東森さんが、2000年に行われた国際会議の席上で、同トンネル建設実現を訴えた日本の政治家の実名を紹介。さらに自身と統一教会との「接点」を記しています。

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私と統一教会との“接点” 1996年~97年に友人たちとの話題に上った「日韓トンネル」 その当時から日韓トンネルは北部九州では都市伝説化

安倍晋三元首相の銃撃事件を機に、旧統一教会(宗教法人世界平和統一家庭連合)に関する問題が続々と明らかとなった。「日韓トンネル」もそのひとつだろう。

日韓トンネルは、九州と韓国との間、約230kmを海底トンネルで結ぶというもの。「国際ハイウェイ財団」という団体が、約40年前に工事を開始したという。

ただ、この国際ハイウェイ財団自体が、旧統一教会の関連団体だった。2016年には世界統一平和連合の韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁が、工事中のひとつとされる佐賀県の唐津市内のトンネルを視察に訪れている(*1)。

国際ハイウェイ財団は、実際に地質調査のため540mのトンネルを採掘。しかしトンネルの先端の部分が所有する敷地の境界線に達しており、2007年から工事は行われていない。

唐津市だけでなく、長崎県の対馬市でも工事は行われた。

「壮大」か、「ハチャメチャ」か、あるいか「不気味」か。今となっては“底知れぬ闇”と一端となった日韓トンネルであるが、しかし、これこそが筆者である私と統一教会との接点だった。

1990年代後半に福岡で思春期を過ごした私も、この日韓トンネルについての噂を耳にしていた。

目次

  • 日韓トンネル その歴史
  • 日韓トンネルと政治
  • 私と統一教会との”接点”

日韓トンネル その歴史

安部首相の狙撃事件が起きる前にも、西日本新聞が、

「韓国政権交代で、日韓トンネル実現期待(2022年6月12日(*2))

という記事を載せるほど、地元ではその存在は知られた日韓トンネル。

しかし「コリア・レポート」編集長の辺真一氏は、

「日韓トンネルは戦前日本の夢だったのです」(*3)

ときっぱりだ。

現在ある日韓トンネルは唐津市~壱岐~対馬~そして韓国の釜山を結ぶ、複数のルートが想定。

そもそも日本では1939(昭和14)年にJRの前身である国鉄が「弾丸列車」として、山口県下関と釜山をトンネルでつなぎ、中国の北京まで結ぶ計画を立てていた。

韓国側でも、動きが。

「韓国側で、日韓海底トンネルに最初に言及したのは盧泰愚大統領です。1990年の訪日時に国会演説で言及し、海部俊樹首相に共同建設を持ちかけています」(辺氏)(*4)

とし、さらに日本側でも、

「日本側も竹下登元首相から森喜朗元首相までは、真剣に検討していたんです。森元首相は、2000年10月のASEM会議で、日本と韓国をつなぐトンネルを作り『ASEM鉄道』と名付けようと自ら提案もしています」(辺氏)(*5)

とした。

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