驚いたのは反町キャスターだ。苦笑しながら「それ…ありがとうございます。年明け早々くらいにもう一回」と言うのをさえぎり、高市氏は笑顔を絶やさずに続けた。
「サイバーセキュリティーも経済安全保障の一環だから、サイバーセキュリティーの必要な法改正も私を担当にしてくださいと総理に申し上げて断られてしまいましたので、今、サイバーセキュリティーの担当ではございません。ただセキュリティー・クリアランスはどうしても法改正をして出したいというのが私の強い希望です。総務大臣と違って内閣府の長は内閣総理大臣、自分が担当大臣だから法律案を書きなさいと役所の人に命令する権限は私にはありません。まずは岸田総理の説得からかかりたいと思います」
岸田首相への不満というか、いわば“恨みつらみ”が相当たまっているように筆者には聞こえる。内閣改造後の8月14日、高市氏は以下のようにツイートしている。
組閣前夜に岸田総理から入閣要請のお電話を頂いた時には、優秀な小林鷹之大臣の留任をお願いするとともに、21年前の掲載誌についても報告を致しました。翌日は入閣の変更が無かったことに戸惑い、今も辛い気持ちで一杯です。
— 高市早苗 (@takaichi_sanae) August 14, 2022
組閣前夜に岸田総理から入閣要請のお電話を頂いた時には、優秀な小林鷹之大臣の留任をお願いするとともに、21年前の掲載誌についても報告を致しました。翌日は入閣の変更が無かったことに戸惑い、今も辛い気持ちで一杯です。
統一教会系の月刊誌に対談記事が載ったことがあると報告するとともに、岸田首相の入閣要請をやんわり断ったが、聞き入れてもらえなかったという。それはそうだろう。大臣といっても、内閣府の特命担当大臣(経済安全保障)である。「役所の人に命令する権限は私にはありません」と高市氏自身がひがむように、党政調会長から見れば明らかに「降格」だ。
岸田首相が、総裁選で争った高市氏を政調会長に起用したのは、高市氏の後ろ盾である安倍元首相に忖度したからだった。その安倍元首相が亡くなったとたん、政策的に波長が合わない高市氏を、党三役から外し、得意分野だからという理由で「経済安全保障」担当に“閉じ込め”たのだ。岸田政権の目玉政策の担当とはいえ、高市氏とすれば、納得できなかっただろう。
複雑な思いを抱いたまま、経済安全保障担当大臣というポストを受け入れ、官邸で岸田首相と向き合った。そのさい、高市氏のことだから「担当大臣になる以上は、セキュリティ・クリアランスを入れた法改正を来年の通常国会で実現したい」と希望を語ったにちがいない。それに対して岸田首相は、口が裂けてもそのことは言わないよう、「中国」という言葉を出さないよう命じたということなのだろう。
苛立った高市氏は、中国の顔色をうかがう岸田首相の弱腰な姿勢を、いつか世間に晒してやろうと思ったかもしれない。そして、統一教会問題が噴出するなか、国葬を強行し、政権が弱体化した今がそのチャンスだと判断したのではないか。
高市氏は、2012年の自民党総裁選に安倍氏が出馬し、清和会会長の町村信孝氏と戦ったさい、安倍氏を応援するために、清和会を退会したほどの安倍シンパだ。昨年の総裁選では、再々登板に向けて出馬するよう安倍氏に要請したが、叶わなかったため、自ら出馬を決意、安倍氏の全面支援をとりつけた。もちろん、「日本初の女性首相」になりたかったからである。
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