安倍氏は事務所にこもり、高市氏への支援を求めて清和会の若手らに自ら電話をかけまくった。「裏切ったら、こちらから縁を切る」と言うほど、強い働きかけだった。高市氏が第1回投票で岸田氏、河野氏に伍する票を集められたのは、そのおかげだ。
決選投票では、高市氏の票がどっさり岸田氏にまわった。だが、岸田氏は安倍氏に大きな借りができたとは思っても、必ずしも高市氏に恩義を感じたわけではないだろう。
しかし高市氏は、岸田氏に対してあくまで強気である。政調会長に就任後、忖度なしの政治的アピールを繰り広げた。韓国が反発するのもかまわず「佐渡島の金山」の世界文化遺産推薦を政府に迫ったり、岸田首相に北京冬季オリンピックへの外交的ボイコットを直談判したこともあった。
公明党と茂木幹事長との間で新型コロナ対策の現金給付の話が進み、自分が蚊帳の外に置かれていると感じるや、官邸に乗り込み「党の政策は政調を通すと党則に書いてある。守ってもらわないと困ります」と岸田首相に怒りをぶつけたといわれる。こういう姿勢に茂木幹事長はもちろん、麻生副総裁も眉をひそめていたと聞く。
昨年の総裁選以降、自民党内では、高市氏の清和会復帰が囁かれていた。そうなることを高市氏は熱望していたはずだ。安倍氏が率いる清和会から首相候補として再び総裁選に出たいと思っていただろう。
だが清和会には、稲田朋美氏、下村博文氏、萩生田光一氏といった「総理候補」を自任する面々がひかえている。“招かれざる客”の入会に反対する会員を説得して、そこに導いてくれるはずだった安倍元首相は、突然、帰らぬ人となった。高市氏の悲嘆がいかばかりだったかは、想像に難くない。今のままでは党内で孤立する恐れすらある。
そんな状況の中から、高市氏は再び立ち上がり、勝負に出た。それが、あの“暴露劇”だった。岸田政権の対中宥和姿勢を浮かび上がらせ、党内の親中派との闘争を仕掛けることで、右派を引き寄せる作戦とみえる。
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岸田首相が頼りなく、官邸スタッフが右往左往して機能不全に陥っているのは事実だ。だからといって、閣僚が、弱り切った首相の足元を見透かすように、約束を反故にしてしまうのは、いかがなものか。倒閣の機運を呼び起こし、あわよくばその旗頭たらんとする動きと受け止められても仕方がないだろう。
閣内から反乱めいた動きが出てくることじたい、政権の末期症状である。岸田首相が批判覚悟で長男を政務の首相秘書官に起用したことにも、心強い味方が不足している孤独な現状が垣間見える。“暴露”の真意を高市氏に問いただすだけの覇気は、もはや岸田首相にはないかもしれない。
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