有田芳生氏が極秘資料を公開。旧統一教会「非公然軍事部隊」のメンバー・経歴・自衛隊への浸透…日本を破壊するカルト集団の危険性

 

MA氏の活動歴に「勝共の非公然軍事部隊」の文字

捜査当局による〈統一協会重点対象一覧表〉は、なぜか「アイウエオ」順ではない。名簿のいちばん最初に記録されたのは、「MA」氏夫妻(資料では本名)だ。統一教会関連ではよく知られた人物で、主として国際勝共連合の仕事をしてきた。

私の持っている別の資料では、1941年生まれのM氏は入信(1958年あるいは1963年。諸説ある)後の1960年代に統一教会の北海道地区長、北海道青年連合会原理 研究会会長、1969年ごろ国際勝共連合の全国組織部長、全国遊説隊長、さらに1971年に統一教会総務部長、1975年2月8日に韓国ソウルで行われた1800組の合同結婚式に参加、のちに国際勝共連合の副理事長、事務総長を歴任、さらに統一教会系企業「世一観光」の代表取締役についている。

統一教会が関連組織との人事交流を行なっており、霊感商法などの経済活動はやっていないという教団の弁明は、人事の動きを見てもありえない。関連組織は教団本体の「防波堤」なのだ。この「MA」氏は、夫婦で国際勝共連合の仕事を中心に活動してきた。

しかし捜査当局は、この人物の「活動歴」には、そうした事実はまったく書かず、驚くべきひと言がそこには記されている。「勝共の非公然軍事部隊」。

私が国際勝共連合で幹部だった人物に問うと、「MA」はある身体的なクセがあるので演説や講演も上手くなく、ゴルフや接待をする姿が印象的だったという。この「MA」氏の次に記録されているのが1954年6月10日生まれの「IH」氏だ。捜査当局は自衛隊のなかに統一教会と接点のある3人の人物がいたとの情報をえていた。そのひとりである。

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IH氏は陸上自衛隊出身、海外義勇軍にも参加

捜査資料には「IH」氏は1982年に市ヶ谷の(陸上)自衛隊第32連隊を除隊し、防共挺身隊から分派した大日本誠流社本部に所属、同会の国防問題研究会の議長を務めたとある。この団体は、タイのカレン独立義勇軍などへの支援も行ってきた。「IH」氏が、ケニアの反共義勇軍に参加していたことを捜査当局は確認している。

さらに1986年の参議院選挙全国区に所属団体から32歳で立候補、落選。宗教遍歴 は不明で、妻は捜査当時「統一協会等宗教関係なし」とある。ところが捜査当局は、「IH」氏を「統一協会の軍事部隊」所属だと認定していたのである。妻とは1988年に真言宗の集まりで知り合って結婚。しかし1990年1月29日に奈良の寺で一酸化中毒死している。享年36。一般的に右翼構成員には活動に行き詰まって自ら生命を断つ者がいる。ただし捜査当局は「IH」氏が自殺だったとは断定していない。

3人目には1953年10月10日生まれの「KH」氏で、「統一協会の軍事部隊」とあり、1982年にはケニアに行っていたことが記録されている。4人目が1952年11月19日生まれの「HI」氏。同氏は上記の「IH」氏と同じく1982年に市ヶ谷の自衛隊を除隊、やはり「統一協会の軍事部隊」とある。5人目の1955年4月24日生まれの「MK」氏は、早稲田大学政経学部卒業で、「軍事部隊関連者 」として「勝共の自衛隊工作の幹部横田某の部下で自衛隊員に対する勝共倫理浸透と情報の収集」を任務としていたとされる。

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