ショイグとゲラシモフの拘束を企てたプリゴジン
大体のお話はこのような感じになりますが、なかなか解決しない大きな疑問は【これは一体何だったのか?】というモヤモヤと、【この後、どのような展開が待っているのか?】という懸念です。
大きく分けて2パターン考えられるのではないかと思います。
一つ目は“通説”と考えられる【ロシア軍幹部とワグネルの確執が爆発した】というものです。
今年に入り、ひっきりなしにプリコジン氏が映像を通じてショイグ国防相とゲラシモフ統合参謀本部議長・総司令官を糾弾し続けていましたが、今回の事件までは衝突ギリギリのところでプリコジン氏が退くという形で治まっていたため、私も【プーチン大統領とプリコジン氏の間で行う茶番】というように情報戦の一環と考えてきました。
ただ、この緊張を爆発に向かわせたのが、ショイグ国防相が発した「すべての志願兵は7月1日までにロシア国防省と契約を締結し、ロシア軍に編入されなくてはならない」との命令の存在です。
アゾフ連隊との激闘を行ない、アゾフスターリ製鉄所を“解放”したチェチェン人部隊はこの“契約”に応じ、それに他の軍事会社・志願兵も従いましたが、ワグネルは真っ向から拒否し、衝突やむなしという空気が漂っていました。
背景には「プリコジン氏が育て上げたワグネルを取り上げられることを恐れた」ことや「プーチン大統領に対してのLook at meアピール(プーチン大統領はワグネルとプリコジン氏の味方であることの確認)」、そして「煮詰まってきていたショイグ国防相とゲラシモフ統合参謀本部議長との権力争い」などが考えられますが、今年に入って、いろいろな筋からの情報を総合すると、プーチン大統領はあまりプリコジン氏からの訴えに耳を貸さず、具体的な対処をするどころか、ショイグ国防相の方針をendorseし続けたようで、ワグネルの働きに感謝の言葉はあるものの、実際に願いを聞き入れることはなかったようです。
そこでプリコジン氏は、今回の反逆を起こした日にウクライナ南部の最前線を訪問する予定のショイグ国防相とゲラシモフ統合参謀本部議長を捕まえて、対モスクワの交渉材料に使おうという計画を立てた模様です。
かなり成功確率が高いという分析がなされていましたが、ただこの企てが事前にFSBに漏れたことで計画変更を強いられ、結果として選んだのが、今回の一連の“平和の行進”と呼ばれる反逆劇です。
プーチン大統領とロシア政府はプリコジン氏とワグネルの企てを糾弾し、裏切り者とまで大統領演説で呼び、徹底的な追求と処罰を宣言するに至り、モスクワに接近した場合には粉砕するように命じていたようですが、“ルカシェンコ大統領による仲介”を受けて、「撤退すれば罰しない」というラインまで軟化したのが一つ目のシナリオです。
これについての評価はまた後でお話しします。
この記事の著者・島田久仁彦さんのメルマガ









