普通ならコントの世界が現実に。文末の「。」が怖い“マルハラ”の本質とは?

 

度々紹介しているが、野口芳宏先生の言葉に「安心、安定、秩序、格差。」というものがある。(ちなみにこれにもきちんと句読点がつけられている。)

「差が秩序を保つのだ。安易な平等主義はむしろ危険である。」とも述べられている。全くもってその通りである。

(引用元:『心に刻む日めくり言葉 教師が伸びるための 野口芳宏 師道』野口芳宏 著 さくら社)

特に大きな組織であるほど、格差がなければ秩序は存在し得ない。家庭のような小さな単位であっても、親と子どもの立場の間には、れっきとした差がある。もしも差がないとしたら、親子で義務も権利も全く同一になるはずだからである。例えば勤労や納税の義務を児童にも課すことになり、それは明らかな違法行為となり、矛盾が生じる。

あらゆる関係には格差が生じ、それにより秩序と安定がもたらされ、安心して生きていける。たとえ「双子の兄弟」というごく近い立場ですら、兄と弟という立場の自覚がそれぞれ出るという。

会社も同様である。上司と部下が同じ立場のはずがない。直属の上司の正当な命令に対し「何で私が命令されないといけないのですか」という部下。明らかな異常事態であり、安心も何もあったものではない。学校においては、管理職と教諭の立場が同じであるはずがない。(だからこそ、理知的で徳のある管理職が各所で切望される訳である。そういう人物の命令であれば進んで聞きたいと願っている人は多い。)

会社や学校ならまだ命には別条がないからいい。これが、医療関係や自衛隊のような組織だったらどうだろうか。人命、あるいは国家の存亡に関わる非常事態である。上意下達が常にスピーディーかつスムーズに行われることが切望される現場である。

これが聞いたところによると、冗談抜きに、そういった組織にまで浸透してきているという。日常における上下関係や規律が、緩くなって崩壊しかけているという。これはそれぞれを突き詰めて遡っていけば「あいさつできない子ども」「不敬な子ども」の延長線上にある。つまり、義務教育段階における、学校教育の問題でもあり、教育の必然的結果ともいえる。

特に自衛隊のように強力な軍事力をもつ組織において「上司の命令」は絶対である。命をかけて国を守る非常事態の命令に「危ないから嫌です」「それってあなたの感想ですよね?」では話にならない。(後半はネタだが。)

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