「さすがにそんなことにはならないだろう」とのんきに笑っていられる事態ではない。次のデータがある。
「世界実情データ図録」もし戦争が起こったら国のために戦うか(2017~20年)
ちなみに日本語での設問文の全文は「もう二度と戦争はあって欲しくないというのがわれわれすべての願いですが、もし仮にそういう事態になったら、あなたは進んでわが国のために戦いますか」であるという。各国の言語で、同じ内容の設問文になっているという。戦争自体は良くないという前提に立っていることを先に伝えた、かなり気を遣った文章である。
当時緊張状態とはいえまだ戦争が始まっていなかったウクライナでは「はい」の割合が「56.9%」である。これすら国際比較の中では比較的低い方である。
一方の日本の「13.2%」は、明らかに世界の中における「異常値」である。日本同様に常に周辺国からの危機に晒されている中国や韓国、台湾といった地域の意識とは雲泥の差である。過去に「複雑な経緯」があったことを差っ引いたにせよ、現在は明らかな平和ボケである。大人になっても「戦争」=「とにかく悪い、ダメ」というレベルの単純思考に留まっているせいかもしれない。(ここについては義務教育段階におけるかつての歴史授業のお粗末さと関係が深いと思われる。)これは「とにかく嫌な思いをさせるのは悪」という「マルハラ的思考回路」と一致する。
「戦争の時は自衛隊に任せておけばいい」と思っているのかもしれない。その自衛隊の大部分は、日本の義務教育を受けた日本国民によって構成されているのである。今日は「建国記念の日」の振替休日だが、自分の国を大切に思う気持ちを育むことは、各国の教育において必須である。
それでも、有事において最も頼りになる自衛隊については、しっかりやってくれるに違いない。しかし、国内の統制がぐちゃぐちゃで国民に秩序がなくなれば、国としての内部崩壊があり得る。先のアンケート結果を見ると、有事の際には秩序が成り立たないことが心配される。
たかが「マルハラ」であるが、多様性の尊重の暴走とも捉えられる。立ち止まって、この下らない現象を一つのきっかけに、現在の教育の在り方を考え直していきたい。
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