普通ならコントの世界が現実に。文末の「。」が怖い“マルハラ”の本質とは?

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あなたは「マルハラ」という言葉をご存じですか? メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者で現役小学校教師の松尾英明さんは今回、文末の「。」が怖くて威圧的だという「マルハラ」というものが存在することに対して、いち教育者として語っています。

「マルハラ」は教育の必然的結果

最近出てきた「マルハラ」という言葉をご存知だろうか。

参考:Yahoo!ニュース

LINEにおける「。」が威圧的で恐ろしいという。若者とLINEで連絡する時には気を付けようというようになるのだろうか。「いい加減にしろ」と言いたいのが私を含めた大部分の大人の意見ではないかと思う。(これはマイノリティを大切にしろという話とは違う。)

こんな戯言自体はどうでもいいのだが、ここには現在の教育における重要問題を含んでいるように思える。これはまさに「心身の苦痛を感じている」=「いじめ」という定義そのものである。ここに理由の如何や事情は問われない。この根幹にある「いじめられている者を最優先で守る」という制度設計の思想自体は、極めて正当である。

一方で「どんな時でも絶対に人に嫌な思いをさせていはいけない」と拡大解釈してしまうと、話が変わってくる。その解釈だと、人と共に生きていくこと自体が不可能になるし、かえって息苦しくなる。人と人とが一緒に生きていく以上、利益の相反をはじめ嫌なことにも直面するのは必然だからである。

今後は社会全体として「了解しました。」とLINEを送っていた上司側が気を遣うことになるだろう。「苦痛を感じていたのに気付かずにごめんね」ということである。(もちろんこの時↑にも「。」をつけてはいけない。)

もはや本来コントでしかない世界が現実化し、現在進行形で悪化している状態である。

これらの前提となっている考えがある。それが「平等」という名の仮面を被った「悪平等」である。

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