あまりにも多い「反プーチン派」の死。ナワリヌイ氏は“消された”のか?

 

過去2年間で50人以上の暗殺命令を出したプーチン

ロシアの弁護士、セルゲイ・マグニツキー氏は、プーチン政権下で起こった政府ぐるみの数百億円に及ぶ巨額横領事件を告発したことで、無実の罪でモスクワの拘留施設に長期収監され、1年以上も連日暴行され続け、2009年11月16日、37歳の若さで獄中死しました。そして、マグニツキー氏の意志を継いで巨額横領事件の告発を続けていたニコライ・ゴロコフ弁護士は、2017年3月21日、この事件でモスクワの裁判所に出廷する日の前日に、アパートの屋上から何者かによって突き落とされ、一命はとりとめたものの、重傷を負って出廷が不可能になったのです。

現在は日本政府もロシアのウクライナ侵攻を批判していますが、2014年にロシアがクリミアへ侵攻した時は、欧米諸国が現在と同じく強い批判を繰り返す中、日本政府だけはこの問題を完全スルーでした。当時の安倍晋三首相は、毎年のようにプーチン大統領に会いに行き、そのつど莫大な上納金を渡していました。そして「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」などと寝言を垂れ流し、あたしたちから巻き上げた税金でロシアのクリミア侵攻をバックアップしていたのです。

そのため、当時のクリミアについて、日本ではほとんど報道されませんでしたが、この時、ロシア内でプーチン政権によるクリミア侵攻を厳しく批判していたのが、エリツィン大統領時代に第1副首相とエネルギー相をつとめた上院議員、ボリス・ネムツォフ氏でした。プーチン政権下では、反対制派のリーダーとして活躍し、2014年のクリミア侵攻でもロシア各地で大規模な反対デモを主導したため、プーチン大統領にとっては「目の上のたんこぶ」でしたが、今回、死亡が報じられたナワリヌイ氏の盟友でもありました。

しかし、そのネムツォフ氏は、2015年2月27日、モスクワのレストランで友人と食事をした帰り、モスクワ川に架かる橋の上で背後から6発の銃弾を浴び、そのうち4発が背中に命中して殺されました。55歳でした。実は、この日の2日後の3月1日に、プーチン政権によるクリミア侵攻を批判するための大規模なデモが予定されており、ネムツォフ氏はその呼び掛け人だったのです。ネムツォフ氏の暗殺を受けて、3月1日のデモは急遽、ネムツォフ氏の追悼デモとなりました。

この時、実行犯として逮捕され、裁判で有罪となったのが、チェチェン共和国に駐在していたロシアの内務省軍副隊長とその部下でした。しかし、この裁判では「誰の命令で銃撃を行なったのか?」という最大の問題点が完全にスルーされ、実行犯が有罪になっただけでチャンチャン、後はウヤムヤにされたのです。もう、この事実だけで「ああ、独裁者に利用されトカゲのしっぽ切りを食らったな」と誰の目にも明らかですが、それが通用してしまうのがロシアという国なのです。

しかし、独裁政権の本当の恐怖は、あたしたちには見えないところにあるのです。ここまでに挙げて来た暗殺事件は、犠牲者が著名人であり、どれも世界で報じられた大きな事件だけです。これらは「氷山の一角」であり、ロシア語に堪能な熱心なロシア・ウォッチャーによると、過去2年間だけでも、プーチン大統領の命令によって暗殺された人物は「少なくとも50人以上」だと言うのです。

この記事の著者・きっこさんのメルマガ

初月無料で読む

print
いま読まれてます

  • あまりにも多い「反プーチン派」の死。ナワリヌイ氏は“消された”のか?
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け