勝利と挫折。日米で真逆な「反戦デモ」の記憶
例えばですが、団塊世代の残した記憶というのも、日米ではかなり違います。
日本の場合は、ベトナム反戦運動というのは敗北の記憶であり、またボートピープル支援などは起きませんでした。つまり一過性の、そして甘酸っぱい敗北の記憶になっています。
外でもない『いちご白書』を扱った日本の楽曲『いちご白書をもう一度』というのが、運動の敗北というだけでなく、成熟は敗北だという腐敗したカルチャーを代表しているのがいい例だと思います。
ところがアメリカの場合に、団塊世代におけるベトナム反戦運動というのは、最終的にニクソンを撤兵に追い込んだ「勝利の記憶」であるわけです。
もちろん、同じ世代でも徴兵されて悲惨な経験をした若者もいます。
ですが、少なくとも反戦の側に立っていた人々には一種の成功体験になっています。これは、徴兵逃れをした場合でもそうです。
例えば、俳優のメル・ギブソンなどの場合は、父親が徴兵を逃れるために米国から豪州に逃げたという個人の物語があり、これに対する反発がありました。
彼が好戦的で愛国的な映画を作ったのは、その反動だと思いますが、これはむしろ例外に属します。
それこそ、クリントン夫妻などはベトナム反戦を戦った中心的な世代であり、そのために、90年代後半には人気を誇ったのでした。
徴兵を逃れたことが傷になっていないということでは、外でもないトランプもその一人です。
その延長で、現在、アメリカのトレンドとなっている「大麻解禁」というのも、最終的に団塊世代のサブカルチャーが勝利している形とも言えます。








