「幸せ」の概念は「自分の人生がうまくいっている」と現時点で満足できることがキモ!
さて、この世は不条理です。ゆえに、もちろん人生も不条理です。
不条理の壁に出くわした時に、人は悔しがります。
「何で、俺が……」「どうしてこんな目に……」などと、世を呪いたくなるわけです。
皆さんは、そんな時、どう対処しているでしょうか。
自己肯定感の高い人は、あまり気にも留めないでしょうが、自己肯定感の低い人は、「何か」にすがりつきたくなるので心配です。
昔から、幸福の概念は、多くの哲学者が取り上げてきた命題です。
古代ギリシャの哲学者アリストテレス(紀元前384年~322年)は、「徳を身に付け、よく生きること」こそが幸福である──ととらえました。
ドイツの哲学者ショーペンハウアー(1788年~1860年)は、「他人との比較が不幸を招く」と悩みの本質を喝破しました。
また、最大多数の最大幸福を唱えたJ・ベンサム(1748年~1832年)やJ・S・ミル(1806年~1873年)は「功利主義」に幸福概念を見出しました。
「快楽」をもたらすことが幸福につながる──という倫理的・道徳的価値観を主張しましたが、「少数者を切り捨てて犠牲にする差別的な思想」という批判も浴びました。
20世紀においては、「収入と幸福」の関係を研究する経済学者たちが登場しています。
最も著名なのは米国の経済学者リチャード・イースタリンですが、「幸福のパラドクス(逆説)」として有名な学説が「高い所得は必ずしも高い幸福感をもたすとは限らない」と説いたことです(1974年に発表)。
これが大きな反響を呼びました(一人当たりGDPが増加しても幸福度は一定の値で頭打ちになるという各国データに基づく結論)。
「カネがあれば幸福」と考える多くの人々の短絡的思考に水を差したからです。概ね、日本での現在の年収に換算すると、1,000万円あたりがピークとなる構図です。
この統計データから導かれた「イースタリンの逆説」は、のちの行動経済学分野でノーベル経済学賞を受賞した心理学者のダニエル・カーネマン博士(2002年受賞)や経済学者アンガス・ディートン博士(2015年受賞)の新たな研究につながっていきます。
いずれにしろ、こうした「幸福感」や「満足度」といった心理的概念を元にした研究は、人々のとらえ方にも大きな落差を生みました。
何をもって「幸福」と考えるかは、人によって千差万別だからです。
「幸福」ではないからこそ「悩みが生まれる」といった即物的な論理では、解決はおぼつかない問題でしょう。
日本古来より伝わる仏教思想の「足るを知る」といった積極的な現状肯定の思考から外れていれば、誰しも「幸福ではない」と感じ、悩みの「るつぼ」にも陥りかねないことでしょう。
かくして、「占い師」という商売も成り立つゆえんなのです。
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