「もう一つの近代日本」があり得たのではないか?
本書の副題「日本近代史の“イフ”」が言おうとしているのは、《徳川政権が頑迷固陋で封建制に執着するばかりで、薩長がこれを武力で打倒する以外に日本の近代は始まりようがなかった》という、我々の多くが何となく信じ込んでいる歴史認識は、本当に正しいのか?という問いかけである。
戊辰戦争に勝って権力を奪取した薩長藩閥が、まさに「勝てば官軍」でそのように主張するのは当然で、それが伊藤博文から安倍晋三にまで繋がる長州勢を主軸とする近代日本の政治的保守主義の中心的なイデオロギーとなってきた。
ところが面白いことに、薩長藩閥が生み出した天皇制下の大日本帝国と全面的に対決し死屍累々の闘いを繰り広げて来たはずの日本共産党も、徳川政権が「反動勢力」でそれを倒した薩長は「進歩勢力」もしくは「革命勢力」だったという基本的な捉え方で保守派と一致している。戦前の共産党で理論的主流を成した「講座派」の流れを汲む歴史家の井上清、遠山茂樹らがその典型で、さらにその影響下にあった丸山真男や作家の司馬遼太郎も、同じ過ちに溺れている。
実は慶応年間には、赤松小三郎以外にもさまざまな憲法草案が起草され、それらの構想は、後の明治国家とは別の多様な近代日本を生み出す可能性があったことを示していて、明治国家はそれらの中からたまたま選ばれた一つに過ぎなかったのである。
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