尾佐竹猛「明治文化研究会」の憲政史研究
渋沢の趣旨を引き継いで大正期に本格的な幕末・明治の憲法構想を研究したのは、裁判官の尾佐竹猛で、大正14年暮に『維新前後に於ける立憲思想』を出版した。彼は大審院判事にまで上り詰めた司法人ではあるが、大正デモクラシーの旗手=吉野作造や反骨のジャーナリスト=宮武外骨などと共に「明治文化研究会」を組織し、幕末以降の日本がどのように立憲政体論や議会開設案を受容し熟成させて来たかの歴史を跡づけた。
それによると、文政10(1827)年にドイツ人=ヒュプネルの『一般地理学』の蘭語訳をさらに抄訳した『輿地誌略』が出版されたのを手始めに、欧米諸国の議会の仕組みなどを紹介した書物が、最初は主として中国で出版された漢語訳や研究書をそのまま漢文読みする形で、やがて慶応年間(1865~)に入るとようやく福沢諭吉の『西洋事情』、西周の『万国公法』、津田真道の『泰西国法論』など欧米を実際に視察・留学した日本人自身の筆になる欧米の政治体制の紹介・分析が、広く読まれるようになっていた。
吉野作造が初代会長、その死後には尾佐竹が2代目会長を務めた明治文化研究会は、幕末から明治の自由民権運動・議会開設運動にかけての歴史を精力的に研究し、その中で歴史家の大久保利謙〔としあき〕や、憲法学者で戦後日本国憲法の骨格を作った鈴木安蔵などの人材を多く育てた。大久保利謙は利通の孫でありながら自ら「佐幕派」を名乗り、「明治初年の西洋学術、思想、文化の日本への植え付けに、旧幕臣ないし幕府系の洋学者たちの功績がきわめて大きい。……政治的には薩長討幕派が勝ったが、文化的には幕末幕府の方に分がある」と書いている。
そうしてみると、佐幕派の立憲論・議会開設案を引き継いだ明治自由民権運動の中での溢れかえるような憲法論議が、大正デモクラシーを中継点に戦後の民主憲法の成立にまでつながってきたという1つの大きな脈絡があることが分かる。
遠山茂樹『明治維新』が振り撒いた誤解
このような佐幕派の立憲論・議会開設案の広がりを、野蛮な武力討幕派が無視し、あるいは扼殺しようとしたのは当然とも言えるが、おかしなことに、戦後の歴史学界を席巻した講座派系≒東大系のマルクス主義史学もまたそれを完全に無視している。代表格は、遠山茂樹『明治維新』(岩波書店、1951年)、井上清『日本現代史1・明治維新』(東大出版会、1951年)、丸山眞男『日本政治思想史研究』(東大出版会、1952年)などで、実際、私などもこれらを基礎教養としつつ日本近現代史を学び始めたものだった。
が、関良基に言わせれば、遠山は佐幕派の議会制度論を「封建的秩序を再建し温存していくための方便」であり、そこには「近代社会の建設に向かうベクトル」は何ら含まれていないと切って捨ててしまっている。ということは、薩長テロリスト集団と彼らが産んだ「大日本帝国主義」の方に「近代社会の建設に向かうベクトル」があったという判断になるのだろうが、遠山はじめいわゆる左派がそういう迷路に嵌まり込んでいく思考回路のねじれは、丸山眞男を吟味するともっとよく見えてくるかもしれない。〔次号に続く〕
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