何が明治“維新”だ。内戦で人命を奪い権力を奪取した「薩長」の野蛮な革命

th20230905
 

今年2023年で155周年となった明治維新。我が国の近代国家へのスタート地点と言われる維新ですが、他の歴史的事象同様、さまざまな見方が存在するのもまた事実です。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野孟さんが、生前「歴史探偵」を自称した作家・半藤一利氏の著作に描かれた「維新の核心」を紹介。その上で、薩長革命権力が戊辰戦争後に何をしたかについて解説しています。

※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2023年9月4日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

薩長の“尊皇”なんて「泥棒の屁」だ。薩長嫌いで有名な歴史研究家『幕末史』から学ぶこと

このシリーズの前々回(No.1218)では上田藩士=赤松小三郎の「公武合体」論、前回(No.1220)では米沢藩士=宇加地新八の「立憲君主制憲法案」を紹介した。

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このような、後に「士族民権」と呼ばれたりもした武士の中の開明的インテリ層による憲法や議会制の論議は、幕末には江戸だけではなく地方でも驚くほどの広がりで行われており、それが他方での農村地主、僧侶、医者などの「田舎紳士」を中心とする純民間の勉強会活動とも相俟って、明治期早々からの自由民権運動の勃興を準備したのである。

それらこそが実は「維新」の本筋で、後のことなど何も考えずに暴力的に幕藩体制を破壊することにのみ血道を上げた長州・薩摩のインテリ欠如の下級武士のやり方は、むしろ邪道であったのではないか、ということも指摘しておいた。

薩長の尊皇なんて泥棒の屁

歴史研究家の半藤一利は薩長嫌いで有名で、『幕末史』(新潮文庫、2012年刊)の冒頭で、小学生から中学2年生までの8年間、「まさしく戦前の皇国史観、正しくは『薩長史観』によって、近代日本の成立史を徹底的に仕込まれた」が、新潟県長岡市の父親の生家で夏休みを過ごすたびに祖母からはこんなふうに言い聞かされたのだそうだ。

「あの薩長なんて連中はそもそも泥棒そのものなんだて。7万4,000石の長岡藩に無理やり喧嘩を仕掛けおって、5万石を奪い取っていってしもうた。なにが官軍だ。連中のいう尊皇だなんて、泥棒の屁みたいな理屈さネ」

そのため、長じてからも、江戸っ子の永井荷風の薩長罵倒の啖呵に「満腔の敬意」を払ったりすることになる。

「薩長土肥の浪士は実行すべからざる攘夷論を称え、巧みに錦旗を擁して江戸幕府を顛覆したけれど、原(もと)これ文華を有せざる蛮族なり」「明治以後日本人の悪くなりし原因は、権謀に富みし薩長人の天下を取りし為なること、今更のように痛嘆せらるるなり」

芥川龍之介も江戸っ子なので、「明治維新」などとは言わず「徳川家(とくせんけ)の御瓦解」と呼ぶ。それに半藤は快哉を叫び、「瓦解に御をつけているのもいいし、トクセンケというルビもすこぶる結構」と絶賛するのである。ここに半藤歴史学の原点がある。

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