さっそく、気になるポイントを赤ペンチェックしてみましょう。
たいていの人間は、自分の死期を知らずに死んでいく。そうした可能性が高いなか、おまえは死期を事前に知らされ、死について考える機会を与えられた。これが幸福でなくてなんだというのだ
その絶望に気づくことで、おまえの人生に新たな可能性が生まれる。『本来的な生き方』にいたる道が開かれるのだ
基本的におまえたち人間は、今示した例のように、存在しているモノを、部分に分割しその構造を明らかにすることで理解しようとする思考の癖を持っている。だが、見ての通り、こうした説明では決して『ある』の説明にはならない
「存在」とは、思考の土台である
たしかに人間には素晴らしい認識能力、思考能力がある。それにより物理法則や論理規則を知り、世界を正確に把握することができる。だが、それだけでは、規則通りにモノが動くだけの機械的な世界観しか生じず、そこには人間が生きる尊厳も意味も決して見つかることはない
人間に尊厳というものが、もしもあるのだとしたら、それは『機械的な世界観の外側』--『枠の外側』にしかない
むしろ哲学の仕事は『世界には説明できないものがある』ということを示すことで、枠の外側--機械的な世界観を超えた新しい可能性--を指し示すところにあるのだ。だから哲学者は、哲学をすればするほど世界から『説明できないもの』を見つけ出さなくてはならない
目的は連鎖しており、『何のためか』を問いかけることでその目的の根源へと遡ることができる。ならば、無限に目的を遡った先には何があるか。それは『自分自身』だ
たしかに自己の道具化は社会を動かすためには必要なことなのかもしれない。だが、それは人間の『本来的な生き方』だと言えるのだろうか?
『道具として見る』とは、対象の可能性を問いかけ、『それが何であるか?』を選択する行為だと言える。それを人間は自分自身に対しても行うことができる。つまり、人間は自分自身の可能性を問いかけ、『自分が何であるか?』を選択できる生き物なのだ
『死』だけが、おまえが交換できない『かけがえのない存在』であったことを思い出させてくれる
今この瞬間も「死」を覚悟して生きよ
ハイデガーの哲学について、教科書的なレベルでは理解していたつもりでしたが、これは深い。
最近、土井は言葉の仕事をしながら、言葉の限界を意識することが多かったのですが、本書の教えは、それとピッタリ符合しました。
生きることに迷う、すべての人におすすめしたい一冊です。
ぜひ、読んでみてください。
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